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   外に出る頃には、もう日が傾いていた。茜色のインクをこぼしたような空が広がっている。
 鮮やかだな、とエルンストは心の中でつぶやき、目をすがめた。
 するとその視界に、寮へ戻る途中であろう、満面笑顔のレイチェルが入ってきた。

「あれ、エルンスト。今日はよく会うネ」
「こんにちは、レイチェル。ずいぶんと嬉しそうですが、何かいことでもあったのですか?」

 エルンストの言葉に、心なしか彼女は頬を染めた。

「うん。ちょっとネ。えへへ……」

 こんなに嬉しそうな彼女を見るのは初めてかもしれなかった。
 こうしてみると、レイチェルも歳相応な女性に見える。
 女性の笑顔とは、こんなにも華やかで美しいものだったろうか。
 レイチェルの笑顔にあの美しい人の笑顔を重ねて、エルンストはドキリとした。

「あ、エルンスト。もしかしてロザリア様のところへ行って来たの?」

 彼の心中をまるで読んだかのようなタイミングで、彼女は聞いてきた。
 女性とは怖いものだ、とエルンストは苦笑する。

「ええ、そうですよ。よくご存知ですね」

 平静さを装い、少し感心したように彼が答えると、レイチェルは得意そうに腰に手を当ててこう言った。

「だって、アナタからロザリア様の香水の香りがするもの。ワタシ、五感も鋭いんだよ」

 その言葉は、エルンストにしてみれば、起爆装置そのものだった。
 信じられないほどの急激な体温上昇。
 彼自身、熱が体中を駆け巡る感覚がはっきりと感知できる。それと同時に、自分の衣服に移った彼女の香りが、凶悪な鮮明さで嗅覚を襲う。
 意識せずにはいられないほど、強く。

 ――――――あの人に、恋をしている・・・と。

「…スト?……エルンストってば…!」
「あ、はい?」

 どうやら、ぼーっとしてしまったらしい。
 目の前の少女は呆れた顔で彼を見上げた。

「大丈夫? 疲れてるんだね。少し休んだほうがいいよ。どうせ、また寝不足なんでしょ?」
「え、ええ…。すみません」
「ワタシに謝ったってしょうがないよ。ここでアナタに倒れられたら、たくさんの人が迷惑するんだから、皆のためと思って今日は早く寝ること。わかった?」

 年下の彼女はまるで姉のように、エルンストを諭した。
 その姿に、思わず苦笑してしまう。

「ちょっと、何笑ってんの」
「すみません・・・まるで貴方は私の姉のようだと思いまして」
「げ。やーよ、こんな物分りの悪い弟。ほらほら、ふざけたこと言ってないで、今日はまっすぐ帰ること!」

 ぐいぐいと背中を押されてしまっては、これ以上会話などできそうにない。

「わかりました。それでは、このまま失礼します。御送りできなくてすみません」
「そんなの平気よ。ワタシの脚はキレイなだけじゃないんだから。それじゃあ、またね。エルンスト」
「はい。お気をつけて」

 そういって、レイチェルは軽やかな足取りで寮へと帰っていった。
 その姿が小さくなるまで見送ってから、エルンストは公園の入り口へ向かう。案の定、商人が店の片付け作業をしていた。

「すみませんが…」
「はい、いらっしゃ〜い!って、あっれー。珍しいお客さんやな。今日は何をご入用で?」

 彼の緑色の髪を揺らしながら、商人は両手を揉んで笑顔で応対する。
 店はもうとっくに閉店時間を過ぎているだろうに、そんな言葉を一言も出さない。たいした接客魂であった。

「いえ、今日ではなく…明日の予約をお願いしたのですが」
「はいな!ご利用、ありがとうございま〜す。物によっちゃ取り寄せに時間がかかるかもしれへんけど、その時は堪忍してな。んで、何を探してはるんや?」
「花束を・・・なるべく大きな薔薇の花束をお願いします」

 さすがに、これには商人も驚きを隠せないようだった。
 だが、詮索するようなことはしない。それが商売人のマナーというものだ。

「薔薇の花束…やな? 何色がええ?」
「赤、一色でお願いします」

 商人は伝票と思われるメモ帳に、達者な字で注文を書き付けた。

「了解っと。ほんなら朝摘みの一番キレイな薔薇の花束を用意させていただきます♪ まかしといてや」

 お願いします、と一言残して去って行くエルンストを見ながら、商人は嬉しそうに呟いた。

「あの兄ちゃんも、いよいよ春がきたんやなぁ…。よっしゃ、いっちょ一肌ぬいだろっ」

***********

 一方。エルンストが退室してすぐに、ロザリアは彼の報告を女王に伝えるべく、女王の執務室へと参上していた。

「…ということらしいですわ」
「そうなの…。なら、早くアンジェリークを説得しなくちゃいけないわね」

 金の豊かな髪から覗く瞳は、まだ愛らしい。
 まだ幼さが残る彼女の外見を見れば、何も知らない人間は、彼女が宇宙の女王とは気づきはしないだろう。
 その独特の雰囲気さえなければ。

 女王に就任してからの彼女は、その気性は変わらないものの、自然と威厳と風格を身につけ、今では立派な女王となっている。
 就任当初の反応は、いまいち不安そうだったが、現在は誰もが女王を慕い、尊敬し、誇りに思うほどだ。
 そんな彼女だから、その下で自分は働けるのだとロザリアも思っていた。

「でも、いったいあの子の躊躇する理由とは何なんでしょうか…」

 答えなど期待せずに呟いたつもりが、意外にも女王はあっさりと返した。

「決まってるじゃない。好きな人が出来たのよ」

 その自信満々なもの言いに、ロザリアはびっくりした顔をする。

「そんな…。どうして陛下はご存知ですの?」
「え?だって顔を見ればすぐに分かるわよ。レイチェルもそうね。…でもレイチェルの場合は、上手くいってるみたいだけど」

 さらに予想もしなかったレイチェルの恋まで聞かされて、ロザリアは呆れるしかない。

「わたくし、全然気づきませんでしたわ…」
「そういうのって、ロザリアは鈍感だもんね。ふふっ」
「ま!随分ねアンジェリ―ク…」

 互いの名を呼んで、2人は可笑しそうに笑った。
 女王候補時代から育んできた友情は今も存在し、この宇宙の安定に一役かっている。
 女王も、この有能で愛すべき補佐官を大事に思っている。だが。

(これじゃエルンストも苦労するわね…)

 何もかもを知っている女王陛下は、彼に同情を禁じえないのであった。

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