日が高く昇っている明るい午後。男はもう一度その寺を覗いた。
怖いもの見たさというのもある。
しかし、それ以上に あの美しい女をもう一度、今度は明るいところで眺めたいという気持ちの方が強かった。柔らかい二の腕の感触や、しっとりとした黒髪の感触を思い出すと、やはりあの女が愛しくて仕方がなかった。
狂おしい愛欲に、男は駆り立てられたのである。
男は今まで、こんな思いをしたことなど一度もなかった。
こんなにも強く引かれるものに出会ったことがなかった。
―――――― 逢いたい。
逢って、奪おう。誰にも邪魔されぬ処へさらってしまおう。
男は昨夜の恐怖など忘れて、猛る気持ちのまま邸に入った。
案の定、女がいた。布で髪をくるんで端近に座っている。
だが、虚ろな瞳でぼんやりとしており、まるで魂が抜けたような風情である。
男は様子を見るために、庭の植え込みの影からじっと見つめつづけた。
女は明るい日の下でも美しかった。
雪のような白い肌。
ぽってりとした情熱的な唇。
瑞々しい芳香が、男のあたりまで漂ってきそうだった。
―――――が、女は一向に動かない。
秋の涼風が、頭巾の布をどれほど はためかせても、眼を細めることもしない。
静かな、それでいて生気の欠けた女だった。
男は、最後に囁いたときの女の表情を思い出した。
白々と明けてくる朝、腕も中でまっすぐに見つめてきた瞳。
爛々としていて強い光を宿したそれは、男を恐れさせるほど活き活きしていたはずだ。
なのにどうだろう。今、目の前にいる女は意思のない虚ろな抜け殻である。
男は警戒するのも忘れ、女の目の前に姿を出した。
自分を覚えているなら、何らかの反応があるはずだ。
そう思ったのに、女は男を見ようとしない。
気づいているのかどうかも分からないほど、彼女には変化がなかった。
何を見つめているのか分からない、かすんだ眼が、男を見透かして その先を見つめる。
視線が合わないことが男を無性に不安にさせ、彼はたまらなくなって女を抱きしめ接吻した。
けれど相変わらず女は無感動に目もあわせず宙を見つめるばかり。
埒があかぬと思った男は 夜になるのを待つことにして、その場を去った。
男はまた、女のもとから逃げ出したのである。
******
日が暮れて、空気が次第に冷やされる。今日も月影がさやかな、秋らしい夜だ。
男は女に何かやろうと思って、昼のうちに栗を集めておいた。
そしてそれを人間から奪った上等な布でくるみ、3度目の道を歩いたのである。
昨日と同じく、戸が開けられていた。
迷うことなく室内に入ると、そこには狩衣姿のあの女が立っていた。帯刀もしている。
昼間とずいぶん雰囲気が違うが、男は眼を見て、すぐに彼女だと分かった。
忘れもしない、強く激しく自分を惹きつけるその瞳。
女は入ってきた男に気づいて、嬉しそうに眼を細めた。
「今夜来ると思っていたよ。なにせお前は私の夫となったんだからね…」
そう言って彼女は、男の顔をその冷たい両の掌で包んだ。
「愛しいひと……」
すると彼女は男が何か持っているのに気づいたようだった。
「おや、くれるのかい? ふふふ…かわいいね。 おいで。 私は今から出かけるから、お前もくるといい。
美しいものを見せてあげよう」
そう言うと、女は、彼の頬にあてていた指をすべらせて優しくなでると、しっかりした足取りで外に出た。
男は彼女にしか用はないので、黙って後をついていく。
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