「晴明っ!!!」

 博雅が、押さえた悲鳴のような声をあげる。
 大蛇が ささ の枕もとに立ち、その口を大きく開けるのと同時であった。
 だが晴明は動かない。
 じっとその様子を見ているだけである。
 博雅はその大蛇が今にも少女を丸呑みしそうで気が気でない。

「・・・晴明!!」

 もう一度、博雅は名を呼んだ。
 晴明は、自分の裾を引っ張る博雅の手を一瞥すると

「見ろ、博雅」

 と静かな声で言った。
 その声に従って博雅が大蛇を見遣る。
 そして息を飲んだ。

 大蛇は泣いていた。
 細められた眼からは、涙がほろほろと とめどなく流れ出す。赤い瞳は愉悦とも苦悩ともとれる歪み方をしていた。
 びっしり生えた青い鱗は、水滴を得て、ギラギラと無気味に光っている。
 大口を開け、そこから唾液を絶えず垂らしながらも、大蛇はそのまま少女には触れようとはせずに、ただ泣いていた。
 おおん、おおん と泣いていた。

「博雅、笛を吹いてくれないか」

 突然に晴明が、そんなことを言った。
 調度、鬼が軽く震えだした頃だった。

「・・・・・・分かった」

 いつの間にか一緒に涙を流していた博雅は、ぐいと顔を拭くと、懐から葉双を取り出して口に当てた。
 すい、と柔らかい音色が広がる。
 先月に青蛇に聞かせたのと同じ曲だった。
 絹の糸のように肌触りのいい音色が、細い雨のように身体にしっとりと吸い込まれていく。
 鬼が、びくりと反応した。

「おおお・・・おおお・・・この笛の音は・・・この笛は・・・・・・おおおおおお」

 聞き取りづらくはあったが、それは確かに人語であった。
 少し前から始まった震えが止まり、代わりに身体をつっぱるように顎を天井に向けて痙攣した。
 ぶるる、と飛沫があたりに散った。

「おおお・・・なんという音色だ・・・・・・なんという調べだ・・・・・おおんおおおおおおおおおおん」

 大蛇が嬉しそうに笑ったのが分かった。
 すると、今までじっと見ていた晴明が、立ち上がった。

「行くぞ」
「おう」

 二人の男が、目の前に現れたとたん、鬼はぬらぬらと這って外に逃げようとした。
 相当の重さだろうに、太い胴体を音もなく動かして、あっという間に格子戸のところまで逃げている。

「もし」

 その後姿に、晴明が優しい声音で声をかけた。

「ここから少し下ったところに牛が一頭捨ててありましたよ」

 鬼はそのまま姿を消した。
 すぐに博雅が少女のもとに駆け寄る。

「ささ殿!」
「大丈夫だ、博雅。眠らされているだけだからな」

 晴明が言ったとおり、すぐに少女は目を覚ました。
 そして次の瞬間には、目の前の二人が先日来た人であること、そのうちの一人が陰陽博士であることを思い出していた。

「・・・お願い! 父さんを調伏しないで!! 鬼でも、私達にとって大事な父さんなの!」

 少女の言葉に、思わず二人は顔を見合わせた。

「君は青蛇が鬼だと言うことを知っていたのか?」

 博雅が率直な疑問を口にした。
 鬼だと分かっているものと一緒に暮らす・・・それは自殺行為ではないのか。
 ささは、こくんとうなずいた。

「・・・自分が食べられそうになっていた、ということも?」

 晴明の問にも、うなずきで返す。

「数ヶ月前から様子がおかしかったの・・・。それである日・・・夜中に目を覚ましたら父さんが蛇になってて…私の顔をじっと見てるの。
私はどうしてかは分からないけど体が動かなくて・・・父さんが私の顔を見て泣くの。いっぱいいっぱい泣くの。苦しい苦しいって
涎を流しながら一晩中泣きつづけるの。でもある日・・・」

 そこまで言って、ささは急に言いよどんだ。

「どうした?」
「・・・ある日、血のついた着物を見ちゃった・・・。洗い落とせなかったみたいだった。べっとりと胸からお腹にかけて真っ赤になってて…」

 少女は自分の夜着をぎゅっと握った。

「でもでもっ…父さん悪い人しか殺してないんでしょ? 私、都で聞いたもの。鬼は悪人しか殺してないって。普通の人には何もしないって。
だったら調伏なんてしなくていいじゃない。父さん悪くないよ。お願い、見逃して! お願い!!」

 ささは、博雅の腕にしがみついた。
 博雅は困ったような顔で晴明を見る。博雅もどうにか力になりたいようだった。

「晴明・・・」
「お前までそんな顔をするなよ」

 晴明が微笑した。
 そして己の口もとに形の良い指を当てて、しばし考えるそぶりをした後に、一つの提案をした。

「そのためには・・・ささ、お前がここを出なくてはいけないよ」
「え?」
「それでも良いのだね?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いいです。それで父さんはここにいられるんでしょ?」
「約束しよう」

 晴明の台詞を聞くと、ささはにっこりと笑った。

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