晴明は、少女に湯浴みをしてくるように言った。
 大蛇の唾液でべとべとになっていた少女は、素直にその命令に従う。

「朝にもう一度迎えに来よう。それまでに仕度をしておきなさい」
「はい」

 ささは、ぴょこりとお辞儀をすると川辺に向かって家を出た。

「さて、俺たちも青蛇殿のところへ行こう」
「分かった」

 二人は、元来た道を、牛車を止めたところまで歩いた。
 だが牛車をひく牛は跡形もなく消えており、つなぎとめていたはずの頚木(くびき)が強い力で捻り取られたように、ぼろぼろになっている。
 そして、その車の横に、ゆるやかな微笑をたたえた青蛇が立っていた。

「さきほどは ありがとうございました」

 そう言って、深々と頭を下げる。

「ささを湯浴みにやりました。少しお話していただけますか」
「もちろんでございます。お二人に一体何を隠すことがございましょうか。全てお話申し上げます」

 青蛇は、朗々と説明を始めた。

「お二人は、蛇女房の話をご存知ですか」
「はい」
「あれは私なのですよ」

 朧な月光が青蛇の頬に当たる。
 彼の顔は恍惚として、幸せそうであった。

「人外のものとは知らずに私は女房に恋をして、結婚し、子供を授かった。だがその幸せは人間によって奪われ、女房は光を失った。私は子供を抱えて、そこへ連れて行って欲しいと涙ながらに女房に頼みましたが、彼女はそれを許してはくれませんでした。そして子供も成人して私は
親の責任を終えたとき…私は女房の住む泉に入水したのです」

 泉の主である白蛇は、あっという間に男を救い出した。
 また再会した男は、子供が成人したこと。自分は今も愛していること。共に生きていきたいことを一生懸命説明した。
 そのためになら、自分はどうなってもいいのだと。

 観念した白蛇は、男を自分と同じ蛇にした。
 だが、もとは人間であるので、完全には蛇にならない。
 彼女もまた、人間である男を愛していた。
 だから呪は男を半妖に変えたのだった。

「女房は水神でした。ですが私は鬼にしかなれなかった。神になるには邪すぎた。だから私は神聖な泉には共に住むことが許されずに
人の世に戻されたのです」

 鬼になった青蛇は無性に血が啜りたくなり、肉を食みたくなり…と旺盛な食欲に悩まされた。
 だが青蛇は我慢した。
 人としての誇りが彼をなんとか繋ぎとめていた。
 だが自分を襲う刺激から遠ざけるため、人里離れた山に住み、穀物や野菜で腹を満たすために今の庵を建てた。
 そのうち子供好きだった彼は、捨てられた子供を引き取り、その成長を見守ることで日々の慰めにした。
 時折女房に逢いに行く。
 そんな毎日が、彼にとっては満ち足りた時間であった。

「ではなぜ最近になって変わってしまわれたのです?」

 博雅が、ここ数ヶ月の彼の凶行を口にした。
 彼の口ぶりからは、人を喰らうなどという恐ろしいことは想像できなかったのだ。

「ささ、ですよ」

 青蛇は短く答えた。
 一瞬の沈黙に、川のせせらぎだけが絶えることなく聞こえてくる。

「以前お話したように、女子を育てたことはあっても、ささほどの年齢になる前に外に出しておりました。だがささだけは、あの子だけは残って…
とうとう女になってしまった」

 博雅が、青蛇の言葉の意味がわからずに首を捻った。
 晴明がそんな彼の耳元で小さく「月のものだ」と教える。
 博雅は思わず「あ」と答えて、顔を赤らめた。

「毎月、ささからは温かい血の匂いがしてくるのです。その度に、あの子の柔らかな肌が目に入り私は気が狂いそうになる。自分の娘を
食いたいなどという、劣情に駆られるのです」

 おおん、と青蛇がむせび泣いた。

「先ほども、劣情に耐えられず、ささの寝所に忍び込み、ひたすら己と葛藤しておりました。いつもは、どうしても我慢できなくなると都にまで
出向き、とにかく腹を満たすために喰えそうなものを探すのですが、今宵は博雅殿の笛を聞き、多少とはいえ正気を保つことが出来ました。
そして晴明さまのお優しいお心遣いを頂きまして、こうして今 人の姿でいられるというわけでございます」

 青蛇がまた深々と頭を下げた。

「はて。何のことやら。牛が捨ててありましたのを私は申し上げただけのこと」

 晴明が、とぼけた口調で返事をする。
 博雅は、晴明がわざと距離をおいたところに車を止めたのは、青蛇の食事を ささに見られぬためだったと気づいた。
 晴明らしいと言えばらしい配慮だ。

「それでこれから、この身はどうなりましょうか」

 不安げに、青蛇が陰陽師に聞いた。

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