牛車が ほとほと と山道を歩いていく。初夏の夜は湿気をたっぷりと含んで生暖かい。
 月も雲に隠れてしまい、ぼんやりと霞んで時折気まぐれに顔を出す夜である。

「ここから先は徒歩でいくぞ」
「おう」

 晴明が白い狩衣にぱさりと音を立てさせて、車から降りた。
 それに博雅が続く。
 先月と同じ山道であった。

「博雅、お前『蛇女房』という話を知ってるか?」

 唐突に、晴明が口を開いた。
 山つつじのように真っ赤な唇には微笑がほんのりと宿る。

「いや、聞いたこともない」
「齢を経た蛇が妖力を持ち、ある日女に化けて禊をしていた。女の正体を知らぬ男が、その女に惚れて一緒になり、子ももうける」

 一家は幸せに暮らしていたが、その女の美しさが評判になって、その土地の受領が女を無理矢理娶ることにした。
 哀しみに暮れるが、受領には逆らえない。
 泣く泣く女は拳大の玉を男に渡して、これを我が子に吸わせてくれと言う。
 男は訳の分からぬままに、それを約束して女を送り出す。
 そして受領の屋敷に行った女は次の日には行方を眩ませてしまった。

 男は、まだ乳飲み子の自分の子に例の玉を吸わせると、我が子は旨そうにそれを吸う。どうやら玉からは乳が出るらしい。
 それを知った男は、近所の乳不足の母親にも乳を分けてやる。
 不思議な玉の噂はあっという間に広がり、またもや受領の耳に入った。
 女に逃げられた受領は、腹いせにその玉を献上するように命令してくる。

 とうとう女の形見の品も奪われて、我が子を育てることも難しくなってしまった。
 男はふらふらと女が禊をしていた池に行く。女を偲びたかった。
 すると水面がもっこりと膨れ上がり、美しい巨大な白蛇が現れた。
 優しい目でどうしたのかと男に聞いてくる。
 男は事の顛末を全部話し、我が子のこと、これからの生活のこと、いまだ忘れぬ女への思いを切々と語った。

 すると目の前の白蛇は、例の玉と全く同じ物を男に差し出し、自分はあの時の女だということ、この玉は自分の目玉であること、
だからこれが最後の玉であるということ、自分もまた男や我が子を愛していることを告げて、閉じられた目からぼろぼろと涙を流した。
 男も泣きながら玉を受け取り、その日のうちに子供を抱えてその村を去った。

 そんな物語である。

「なんと哀れな…」

 しみじみと博雅が漏らす。薄闇でも分かるほどに、苦しそうな顔をしていた。

「俺は最初、この話は良く出来た逸話だと思った。…だが、ありえない話でもない」
「どういうことだ? その蛇は女だったのだろう?まさかお前は青蛇殿がそうだと言いたいのか?」
「じきに分かる」
「俺にはさっぱり分からん」

 面白くなさそうに、博雅が口を尖らせた。

「すまんな。…さて、そろそろだぞ」
「むう。またごまかされた気がするな…」

 そう言いながらも、博雅は口をつぐんだ。
 確かに青蛇の家が見える。
 無意識のうちに博雅は額の汗を拭った。

「ゆくぞ」
「お、おう」

 晴明は迷わずに家の中へ入り、寝所へ向かった。
 博雅が、きょろきょろしながら晴明の後に続く。
 夜中であるため、子供達はぐっすりと休んで物音一つしない。それさえ抜かせば何も変わりない様子である。

「おい、晴明よ。一体どこに向かっているのだ」
「ささのところだよ」
「なに?」
「さて、こちらに結界を張っておいた。この中に入っている分には安全だ。お前、熱くなって外に出るなよ」
「う、うむ」
「俺が合図をしたら、笛を吹いてくれ」
「分かった」
「今回は、俺も調伏せずに済ませたいのだよ」

 最後の晴明の一言には、博雅は黙って頷いた。
 部屋の一角に2人が身を潜め、月光がさすのを待っていると、音もなく扉が開いた。
 顔の半分が青い鱗にびっしりと覆われた青蛇である。
 ぬらぬらと下半身を引きずるように ささの枕もとにくると、しゃあ、と牙をむいた。

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