「あっ!ごめんなさい。…あの、貴族様がここに何の御用でしょう。見た通りここは乳飲み子を持つ母親が集まる場所です。
出来るだけ早くお帰りになって頂きたいのですが…」

下層の人間にしては丁寧な言葉遣いをする少女だった。
利発そうな瞳は無遠慮に二人を見上げてくる。

「それとも、あなた方のお子様も乳で困っているのでしょうか?」

そして優しい人間でもあるようだ。

「いや、騒がして申し訳なかった。我々はこちらのご主人に少し話をうかがいたくて参ったのだが…とりついでもらえないだろうか?」

 礼儀には礼儀で返す。
 博雅は少女に丁寧にお願いした。

「少々お待ちください」

 少しの間考えてから、少女は家の奥へ行き、またすぐに戻ってきた。

「父は今、忙しくて手が離せないそうです。このまま待っていただくか、日を改めてもらうか、お客様にお聞きするように…と」

 どうなさいますか、と先ほどよりは幾分、声を和らげて彼女が問うた。

「では、待つか」
「待とう」

 そういうことになった。

*******

「お待たせして申し訳ありません」

 日が山の端に半身を食われる頃、ようやく庵の主人が二人の前に現れた。
 随分と若い男だった。

「いえ、こちらこそ突然お邪魔して申し訳ない」

 馬鹿丁寧に博雅は頭を下げる。殿上人だが、あまり身分には頓着しない性格なのだろう。
 あっさりと礼を言う博雅を見て、主人はにっこりと笑った。
 人の良さそうな笑顔であった。

「私にお話とはなんでしょうか?」

 そうして、博雅はことの顛末を簡単に説明した。

「ふうむ……。残念ですが、そのような蛇の話は聞いたこともありませんなぁ」
「そうですか」

 がっかりしたように博雅が返事をする様を見て、主人は申し訳なさそうに言い足した。

「お待たせしたお詫びに、せめて酒でもお出ししましょう。見ての通りのあばら屋なもので、たいしたもてなしも出来ませんが」
「いや、突然お邪魔したのに酒までご馳走になっては」
「気にすることはない」
「なに?」

 不思議そうな顔で、博雅は隣の晴明を見る。

「なぜお前がそう言うのだ、晴明」
「酒は俺が用意した。だから遠慮せずに馳走になることにしよう」

 晴明の言葉を聞くと、主人は一瞬驚いた顔をして、その後またにっこりと嬉しそうに笑った。

「これはありがたい。実を言いますと、ここに来るのはいつも乳飲み子を抱えた母親ばかり。久方ぶりに共に酒を飲む相手が欲しかったのですよ」
「そうなのですか。では喜んでご一緒しましょう」
「では、少々お待ちください。娘に肴を焼かせて参ります」

 そうして炊事場へ向かった主人の背を見ながら、博雅は晴明の腹をぽんと肘で当てた。

「おい。いつの間に用意したんだ。また式か?」
「ああ。どうせ日が落ちる頃になるだろうと思ってな。水流の音を肴に飲むのも悪くないだろう?」
「うむ。そうだな」

 博雅が頷いた時に、庭の方から突然水干姿の童子が現れた。
 驚くほど白い肌をしている。まだあどけない顔に、どこか達観したしたような瞳を持つ童子だった。

「ははあ。こいつだな」
「そういうことだ。…ご苦労だったな」

 晴明がそう言うと、童子は無言でゆっくりと一礼し、酒の入った瓶子を手渡し、またもと来た道を走っていった。
 軽快な足音が不意に消える。
 いつ見ても見事なものだ、と博雅は呟く。
 そこに主人が戻ってきた。

「今日は、ちょうど良い鮎を手に入れました。これで飲みましょう」

 3人の前に火桶をどっかりと置くと、その後から先ほどの少女が、しずしずとその鮎を乗せた膳を持って入ってきた。

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