青蛇と名乗る主人は、実に愉快そうに酒を飲んでいる。
 相手がいる酒盛りは久しぶりだと、感慨深げに言った。

「青蛇殿はここで何をなさっておいでなのです?」

 興味深げに博雅が問うと、青蛇は苦笑いをした。

「なに、実は大したことはやっておらぬのですよ。身寄りのない子供を引き取ったり、乳の出ない母親の助けをしたり…つまらんことです」
「なんと、立派な」
「いやいや。およし下さいよ、博雅殿…大したことではないのです。出来ることをして、毎日食いつないでるだけなのですよ」
「けれど他人の子まで世話するのは大変でしょうに。ご苦労もあるでしょう」

 博雅の言葉に、青蛇はぴくりと眉を上げ、そして急に真面目な顔をした。

「博雅殿、たとえ血がつながってなかろうと、引き取ったからには私の子供です。その子供を育てるのに、苦労だなんて思うことがありましょうか。
親というものは、それさえも喜びなのですよ」

 そうして博雅の目を真っ直ぐに見つめて、うっすらと微笑した。

「こ、これは失礼申し上げた」
「いいえ。こちらこそ、出すぎたことを申しました。さ、もう一献…」

 青蛇は、とくとくと博雅の杯に酒を注ぐ。
 注がれた博雅は、会釈をしてからその酒を煽った。

「どうやって、乳を分けてやるんですか」

 今まで静かにしていた晴明が、酒を飲みながら青蛇に聞いた。
 夕闇の中でも、彼の肌は驚くほど白い。唇が、まるで紅を引いたように真っ赤だった。

「それは…残念ながらお教えできません」
「なぜ」
「私たちの生活が掛かっているからですよ、晴明殿」
「知られては、日々の暮らしが出来ませんか」
「ええ」
「晴明、いいではないか。誰だって話したくないことの一つや二つある」

 ややむっとした口調で、博雅が割って入った。

「そうだな」
「そうだ」
「お前もあるのか、博雅」
「なに?」
「誰にも話したくないことさ。女か?」

 さも楽しそうに、晴明は朱色の唇に微笑を宿す。

「いや、女とは言ってないぞ、晴明」
「では想う女はいないのか」
「そうとは言ってない」
「ではどちらなんだ」
「晴明よ、俺は一般論を言ったのだ。俺の想う人のことなど話していないではないか」

 博雅はとりつくろうように言うと、困ったように青蛇を見た。
 青蛇は晴明を見て、互いにくすりと笑う。

「なんだ、二人して俺をからかっているのか」

 面白くなさそうに、博雅は憮然と鮎を食べる。
 焼きあがったばかりの鮎の身からは、やさしい湯気が昇っていた。

「そうではない」
「違いますよ」
「む」

 二人の男に否定されて、博雅は何も言えなくなってしまった。
 外からは絶え間なく渓流の音が聞こえてくる。心地良い音だった。

「女と言えば、先ほど我々を案内してくれたのは青蛇殿の娘御か」
「ええ。ささ、と申します。そろそろ独り立ちしても大丈夫な器量になったのに、決してここを出て行こうとしない。誰に似たのか頑固者でしてね」

 困ったように青蛇は苦笑した。
 そうは言いつつも、瞳はいたって穏やかで優しい。

「ここで育った子供達は、みな外へ出るのですか」
「はい。入ってくる子は後を絶ちませんからね。自活していく術を教えては、外に出しております」
「ほう」
「娘も何人か育てましたが、ささの歳になる前には、全員仕事を見つけたり結婚したりでここを出て行きました」
「ふむ」
「世の中は広い。何もここに留まらずに、外に出て恋をして、人として生まれた喜びを知ればいいのに…おかしな子です」

 ほう…と軽い溜息をついて、青蛇は感慨深げに酒を飲み干した。
 眉間に苦渋の皺が刻まれている。今に始まった悩みではなさそうだ。

「…博雅、お前の笛が聞きたいな」
「おう」

 突然に、晴明が外を見たまま呟いた。
 水流の音にひらりと乗るほどの小さな声だった。
 だが博雅はそれを聞き取り、よどみない動きで懐から葉二を取り出して奏した。
 なんとも言えぬ澄んだ音が さらさらと流れる水の音と織り成すように天に昇っていく。
 晴明と青蛇は、じっとその音に耳を澄ました。
 そうして一通り吹き終わると、青蛇は詰めていた息を吐き出すように、ゆっくりと感嘆の息をもらした。

「よい笛でした…。こんなに素晴らしい笛の音が聞けようとは、私は幸せものです」

 うっとりとした声音だった。
 博雅は、その賛辞に会釈を黙って返す。
 晴明はただ何も言わず、微笑を口もとに宿して外を見ていた。

「さて、そろそろ夜もふけてまいりました。寝所の用意をさせてありますから、どうぞ ごゆるりとお休みください」

 青蛇は深く一礼をすると、二人を部屋まで案内して家の奥へと消えていった。

「なあ、晴明」

 部屋の明かりが消され、眠りに落ちる直前に、博雅は口を開いた。

「どうした」
「青蛇殿は良い方だなぁ。まだお若いだろうに、立派な方だ」
「ふふん」

 肯定するでも否定するでもなく、晴明は頷いた。
 そうして二人に柔らかな沈黙が訪れたのだった。

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