十一

「さて…どうなさりたいですか」
「浅ましき身なれども、年端の行かぬ我が子のことを思いますれば、まだ未練がございます。願わくば、このまま安穏とした日々を過ごしたく
思いますが…ささがいる限りは無理でしょう。私は同じ過ちを繰り返してしまう…」
「では、ささを引き受けましょう」

 あっさりと晴明が答えた。
 夜闇の中で、彼の白い狩衣はぼんやりと霞んで浮かび上がる。
 晴明の真っ赤な唇には、微笑が宿っていた。

「ささにはすでに話をしておきました。鴨川のほとりに住む鵜飼の知人が、お端下を探しております。ささの器量なら雇ってくれましょう」
「なんと」
「今朝にでも迎えに参ります。貴方の苦しみも、今日で終るのですよ」
「なんとありがたいことか…晴明様、博雅様…ありがとうございます。ありがとうございます」

 そうして3人は、夜が空けるまでその場所で語り合って過ごした。

**********

 日が経った。
 つづじも色あせて花が落ちたかと思うと、季節は巡り、紫陽花が目に涼やかな色で咲いている。
 梅雨であった。
 今も細い雨が音もなく降っている。
 晴明の庭も緑が鬱蒼と茂り、その雨を葉で受けて揺らしていた。
 源博雅が安部晴明の家を訪れたのは、そんなじっとりと汗ばむ陽気の午後であった。

「これはまた…すごいな」

 晴明を見つけるや否や、博雅はそんな言葉を言った。

「何がだ」

 白い狩衣をゆったりと来た男が、柱に背をもたせて返事をする。
 声は興味をもった響きを含んでいた。

「お前のところの庭だよ。少しは手を入れんのか」

 濡れ縁の晴明の横にいつものように円座を敷いて、その上に背筋正しく胡坐をかく。
 二人の間には、瓶子と杯がふたつ、用意されていた。

「ふふん」

 返事ではない返事を、晴明は返す。
 真っ赤な唇に、酒を流した。

「まぁ俺もこの庭は嫌いじゃないが、さっきなど危うく蝦蟇を踏みそうになった」
「おいおい。俺の大事な式だぞ」
「む。そうなのか。…いや、踏んではいないぞ。踏みそうになったというだけだ」

 慌てて博雅が弁解して、同じように酒を飲んだ。
 晴明が空になった杯に酒を注ぐ。
 口もとがほんのりと微笑をしていた。

「今月は被害は出なかったな」
「そうだな。青蛇殿は強い精神力をお持ちなのだろう」

 言葉が少なくても、会話は成立する。
 二人の視線の先には、木の枝に張ってある蜘蛛の巣が、露の玉によって浮かび上がっていた。

「お前どうして ささだと分かったんだ?」
「うん?」
「青蛇殿が妖になる原因が、なぜ彼女だと分かったのだ。俺にはそれが不思議でならん」
「においさ」
「におい?」

 晴明が杯を横に置いて片膝を立て、その上に腕を乗せた。
 その様子を、博雅はじっと見ている。

「そもそもこの一連の騒動の起こる日からして おかしかったんだ。ほぼ等間隔で起きるが、とくにその日に発生する理由が分からない。
陰陽道の見地から見ても不規則だった。だがささに会って納得した」
「なぜだ?」
「わずかだが彼女から血の匂いがしたのさ。とくに外傷もないのに血の匂いがするといえば、女の穢れしかあるまいよ」
「むむう」

 博雅が低く唸る。

「それに青蛇殿が言っていただろう。『結婚も出来る歳』だと。つまりは子を産める身体になったということさ」
「なるほどなぁ」

 博雅は両腕を組んで、感心したようにしきりに頷いている。

「俺にはよく分からんが、飢えているときに、食事を目の前にして見てるだけというのは相当に辛いものだろうよ。だが、それも親の愛情とやらで
青蛇殿は押さえていたのさ。並大抵のことではあるまい」
「そうであろうな」
「人であったものとして、同じ人は喰えぬ。だが鬼である限り血を求む」
「うん」
「一度は咥えた腕を吐き出したのも、その哀しさゆえのことであったのだろうな」
「…なんとも哀れな話だな」

 しんみりと博雅がつぶやき、あぶった茸を噛み締めた。
 晴明が優しく笑う。

「だが、ささが素直に応じてくれたからな。さすがに俺の口から女の穢れまでは説明できぬ。助かったよ」

 冗談まじりの口調で、晴明が杯を仰ぐ。
 博雅が、うん、と応えた。

「だが何故ささは出て行こうとしなかったのだろうな。自分が食われそうになったことを知っていたのに」
「なんだ、お前分からないのか」

 博雅の疑問は、晴明にはお見通しであるらしい。

「分からん。教えてくれ、晴明」
「ささは青蛇殿に惚れてたのさ」
「なに!?」
「青蛇殿と同じよ。惚れた相手は人だろうと鬼だろうと構わない。この身が喰われても構わないから傍にいたかった」
「親子だぞ」
「それほど不思議でもなかろうよ。男と女が長い時間一緒にいるんだ。だが青蛇殿はささの気持ちに気づいていなかったのさ」
「むう。・・・俺はなにやら頭が痛くなってきたよ、晴明」

 博雅が、正直に白状した。

「難しくも何ともないさ。ただお互いに相手を愛しく思っていた。その呪が少し違っていたと言うだけの話よ」
「なんでそこに呪が出てくるのだ」

 晴明がにっこりと笑った。

「青蛇殿にかかっていたのは「親」という呪だ。ささにかかっていたのは「女」という呪だ。親に対応するのは『子』の呪であり、女に対応するのは
『男』よ。親と女は相容れぬ」
「・・・さっぱりわからん」

 面白くなさそうに博雅は口を尖らせる。
 晴明は、そうかと言って軽く笑った。

「だが晴明、人の想いは強いということだけは分かったぞ」
「そうか」
「うむ」
「・・・そうだな」

 庭の蜘蛛の巣が、風に吹かれてしなった。
 露の玉がきらきらと揺れる。

「飲もう」
「飲もう」

 目の高さまで杯を上げると、二人は一気に杯を仰いだのだった。

*ありがとうございました*

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