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「バーボンはまだ早いな」
 酒場に入ると榊はそう言って、自分にはバーボンを、隼人にはカルーアミルクを注文した。
 馴染みのマスターが驚いた顔をする。
「榊君の隠し子?」
「馬鹿言え。そんな女泣かせなことするかよ」
 口調ほど強くない顔で、榊はグラスに口づけた。
「榊さん」
 カウンターに向いた榊の背後から、つやっぽい女の声がした。
 この香水は――――――。
 1メートルの距離で、ふわりとかかってくる魅惑の香りを嗅ぎとって、榊はきちんと保管している女の記憶から、一人を選び出した。
「やあ、祥子。久しぶりだね」
 とろけそうな甘い声で、男は振り返った。
 口許に宿る微笑みは、普通の女なら嬉しさのあまり失神してしまいそうなほど美しい。
 カッコイイ、や 素敵、という形容詞ではもはや表しきれない、それほど魅力的なものだった。

 うわ、いい女――――――。
 つられて振り返った隼人の目に入ったのは、とびきりの美女だった。
 大粒の真珠のような瞳と情熱的な唇。どこかのトップモデルではないかと思われるほどだ。
「ひどいわ。ずっといらっしゃらなかったでしょう? 私、榊さんに嫌われたかと思っちゃったじゃない」
「馬鹿だな。俺が君のことを嫌いになるはずないだろ」
 甘く低い声が、女の理性をぐらつかせる。追い討ちをかけるように、榊の大きな掌が、女の右頬に添えられた。
「こんないい女、簡単には手放しはしないさ」
「他の男にはもったいないって?」
 くすっと笑って、女はするりと白い剥き出しの両腕を男の肩に絡ませた。
「そういうこと」
「いじわるね」
 淡い吐息をくすぐるように、鼻先10センチにある男の顔に吹きかける。

 よそでやってくれ!よそで!!―――――――
 真横で男と女の絡みを見せ付けられ、隼人は他人の振りをして飲みふけっていた。

 大人の世界ってこれか? 夜の楽しみってモテナイ甥に自分の魅力を見せつけることだったのか?
 冗談じゃないぜっ!!―――――
 と、ブチブチ文句を言ってはいるが、単に恥ずかしくなって見てられなくなっただけである。
 それに、もの欲しそうに口を開けてみているというのも間が抜けている。
「ねぇ」
 すぐ耳元で、可愛らしいソプラノが聞こえてきた。
「ねぇってばっ。これ、カルーアミルク?」
 てっきり他の男にでも言っているのかと思っていた隼人は心底ビックリして、声の主を見つめた。
「ね、これ一口ちょうだい。わたし、カルーアミルク大好きなのっ」
「あ、ああ…」
 突然現れた少女は、嬉しそうに隼人のカルーアミルクをこくこくと飲んだ。

 けっこうかわいい、かも――――――。
 まんざらでもなさそうに、隼人は女の子をみつめていたその時。
「動くなっ!!」
 乱暴にドアを開ける音がして、続いて入ってきた青い顔の男が、パァーンッと発砲した。
一瞬その音を、自分の持っていたあの銃が暴発したのかと、隼人は心臓をばくばくさせたが、侵入者の手に銃が握られているのを
 見て、ホッとと胸をなでおろした。
「変な人ね…。怖くないの?」
 物騒な男が侵入してきたっていうのに、様子がおかしい隼人をみて、カルーアミルクの女が隼人の服を不安そうにつかんだ。
「大丈夫だよ」
 そのセリフに根拠などないが、とりあえず落ち着きを装って、隼人は言った。
 女は思っていたより芯のある声にいささか驚いたようだ。

「大丈夫だ」
 と、女の手前言ったものの―――――――。
 隼人は付属で入っていたホルスターに納まっているM586を握った。
 手がじわりと汗ばんでくる。
 ちらりと榊を見ると、彼は意味ありげに笑って、あごで促した。
 そう、そのM586で撃ってやれ、とでも言わんばかりに。

 ちっくしょう、やってやらぁっ!――――――
 スーツの影からその選ばれたリボルバーを引き抜こうとした。が、しかし。
「てめぇっ、こっちこい!」
「やっ!!」
 ぐいっとその男は一人の女を引き寄せた。その女とは、先刻まで榊といちゃついていた美女だ。
 とらわれたマドンナよろしく、その女のこめかみに男の銃口が突きつけられた。
「榊…さん」
 乾ききった声で女は助けを求めた。その潤んだ眼差しを受け取って、榊はためらわずに男に歩み寄る。
「来るなっ! この女の頭に風穴あく……」
 突然の榊の行動に驚いた男は大声を上げたが、それは最後まで言われることはなかった。
 榊が、男の目の前に立つと力ずくで男の腕から女をもぎ取って,行き場のなくなった銃口を自分の喉もとに当てたからである。
「女を盾にするなんて落ちぶれたことはするな。彼女と交換だ。女子供を盾にするよりは迫がつくぜ」
 思い切りドスを効かせた声が、しんと静まったナイトフロアに響いた。
 息を詰めて見守っていた客達が、おぉ、と感嘆の声を小さくあげる。
 榊の切れ長の目に気圧されて、言葉もないまま男は榊を座らせてそのこめかみに銃を押し当てた。
「榊さん…ごめんなさい、ごめんなさい…」
 榊と入れ替わったさっきの女が,両目に涙を浮かべて,震える声で言った。
「泣かなくていいよベイビー。言っただろ? 君を他の男に渡しなくないって」
 そう言って、榊はふと視線を隼人に移した。
 目が合った途端、隼人は握りっぱなしで、登場しそびれたM586をホルスターに戻してしまった。
 榊の澄んだ目が意味ありげに細められる。

 どうしちゃったのかな、隼人くん? その銃をもって出ておいでよ――――――
 馬鹿やろぉぉッッ! こんな状態で飛び出せるか!! だいいち、何捕まってんだ、てめぇはっ―――――

 音もなく、ただ溢れる光がミラーボールから注ぎ込まれる。
 誰もが緊張している空間で、2人だけ例外の男たちが、交わしあう視線で語り合っていた。

 

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