−10−

   アンジェリークが告白に失敗し、その場を立ち去った後も、エルンストはまだ森の湖に残っていた。
 別名、「恋人達の湖」。
 皮肉な名前だ、とエルンストは心のどこかで思う。
 アンジェリークが帰っていった方向には、赤い薔薇の花びらが点々と落ちている。
 小走りに駆けたせいだろう。
 それはどこか、切なさの残滓のように見えた。

「あまりに忍びないですね…」

 そう言って、この場に不釣合いなほど鮮烈な朱色の花びらを拾い上げる。
 3〜4枚ほどであった。
 それを右手で一度強く握った後、エルンストは滝壷へ捨てた。
 人目につかないように、そっと。
 まるで隠すように。

「・・・さようなら」

 別れの台詞は、飛沫と共に拡散して消えていった。

 生まれたての彼の地で、幸せになるように。
 そう願うことしか自分には出来ないけれど。

 いつも 祈っています―――――――――

「良かった・・・まだ、おったんやな・・・・・・っ」
「―――まだ、何か?」

 現れたのは、つい先ほど感動するほどのミスをしてくれた商人である。
 申し訳なさそうな顔をして、こちらに近づいてきた。

「さっきは、かんにんな…俺、めっちゃ勘違いして・・・・・・ほんま、すみませんでした!」

 商人が潔く頭を下げる。
 エルンストは、少し笑った。

「過ぎたことを言っても仕方ありませんからね。 次回の反省にして下されば、いいですよ」

 それはエルンストの本心であった。
 商人が好意でやってくれたのは、自分でもよく分かっているつもりだ。
 ただ、タイミングが悪かっただけ。
 自分に運がなかっただけだ。

「許してくれはる?」
「ええ」
「よかったわー! 俺、もう、どうしようかと思って…ありがとさん。あのな、お詫びのしるしに、これ…取っといて」

 そう言って、商人が差し出したのはバラに良く似た一輪の花であった。
 花弁は、全体的に白いのだが、まるで青い糸で縁取ったように色がついている。
 そして面積の広い部分には、見事な細工のごとく幾何学的な模様が浮かんでいた。
 こんな花は見たことがない。

「これは?」
「珍しいやろ? バラ科の植物で『雪月』っていうんやけど、それにちょっと細工したんや」
「細工…ですか。一体どんな事をしたんです?」

 商人は、少し得意そうに「よくぞ聞いてくれました!」と答える。

「蒼色のインクを溶かし込んだ水を吸わせたんや」

 植物の色素を持たない部位は、内部からの着色が可能である。
 つまり、吸収する水に着色をするだけで その葉脈が発色し あたかも最初からその部位には色がついていたかのような発色をするのだ。
 商人は蒼色のインクを吸わせることで、真っ白だった花弁に蒼色の葉脈模様をつけたのである。

「美しいですね」
「せやろ? 青い薔薇は品種改良しても作れへんって聞いとったから、なら無理矢理でもって思ーて。…気に入ってもらえた?」
「はい。ありがとうございます」

 エルンストが礼を言って、ようやく商人も胸をなでおろした。
 なかなか憎めない性格である。

「ほな、これさっきの花束の代わりに つこぉてや。 ほんまに ごめんな。 ・・・・・・・あ、そうそう」

 去り際に、商人は思い出したように付け足した。

「さっき来るときにロザリア様に会ってな、アンタを探してたで。 んで、俺、伝言を頼まれたんや」
「何でしょう?」

 ロザリアの名前を聞いて驚いた彼だったが、平静を装って聞き返す。
 思い出すのは、アンジェリークが教えてくれた噂。

   『一人の時に、この滝に向かって愛しい人のことを想うと・・・・・・』

「育成の報告が聞きたいから、新宇宙に惑星が満ちたらデータをもって執務室に来て欲しいそうや」

   『・・・・・・その人が現れるって話ですよ?・・・・・・』

「――――――ありがとうございます」
「お役に立てて何よりや。ほな毎度ー」

 商人の別れの挨拶に、心なしか嬉しそうにエルンストは目礼した。
 これは偶然なのか。それとも噂の力なのか。
 彼には分からない。
 アンジェリークの言っていた内容とは多少の齟齬があるが、噂というものの性質上、表現が伝播の途中に変えられた可能性もある。
 あるいは全くの偶然かもしれない。

 けれど、そのどちらでもエルンストにとっては大した問題ではない。
 重要なのは 逢える ということ。
 これを逃したら、もうチャンスは巡っては来ないだろう。
 女王試験は滞りなく終了し、協力者として呼ばれた自分達は、それぞれの惑星に帰される。
 ここは聖地なのだ。
 自分のような一般人は、もう留まることも 訪れることも許されない。
 ここで分かれたら、もう二度と会えはしない・・・。

「・・・戻りましょう」

 雪月が、ふわりと揺れた。

**********

 同刻。

「アンジェー? どーしたの、さっきから騒がしいけど?」

 ノックと同時にレイチェルはアンジェリークの部屋のドアを開けた。
 というのも数分前から、ドタバタと大きな物音がするのである。
 活発に動くとは思えないアンジェリークの部屋からそんな大きな音が聞こえたのだから、レイチェルが不思議に思うのも無理はない。

「あ・・・レイチェル・・・ごめんね、うるさくて・・・もうちょっとで終るから・・・」

 部屋の主は申し訳なさそうに謝るのだが、その格好がおかしい。
 聖地に呼ばれるときに持ってきた大きなアタッシュケースの上に、ちょこんと正座しているのである。
 どうやら荷物が入りきらないので、体重で圧縮しているようだった。

「ちょっと、アンジェってば、何してるの!? ・・・は? 準備? 何の?」
「もう・・・試験も終るから。 今のうちにね・・・まとめられるものは まとめちゃおうと思って。私、こういうのって上手じゃないから」

 そういって、チェストから何点か取り出して両手を見比べてみる。

「やっぱり来たときより、荷物が増えちゃってるわ・・・・・・でもせっかく皆さまから頂いたものだし・・・」

 レイチェルはドアに寄りかかった姿勢のまま、呆れた顔でアンジェリークに話し掛けた。

「アンジェ・・・今 片付けるのは無駄だと思うよ」
「どうして?」
「よく考えてみなよ。ここを片付けてアナタどこに行くつもり?」
「新宇宙よ。だってそこの女王になるんだも・・・・・・あ・・・」

 そこまで言って、アンジェリークはその小さな口もとに手を当てた。

「そ。 そこには、まだ なーんにも出来てないヨ。人が住める建物すらね。 移動するのは、それが出来てからじゃないの?」
「・・・・・そうね。レイチェルの言うとおりだわ・・・」

 文字通りうなだれて、アンジェリークはベッドサイドに腰掛けた。
 レイチェルも部屋の中に入って、彼女の横に座る。

「アナタらしくないね。詳しくは聞かないけど・・・・・・大丈夫?」

 レイチェルは、そっとアンジェリークの頭を撫でた。
 幼子をあやす母親のような優しい手だった。
 アンジェリークの瞳に、また涙が浮かぶ。

「・・・うん、大丈夫・・・大丈夫になると思う。でも、今日はまだ・・・ダメみたい・・・」
「うん」
「・・・ごめんね、レイチェル・・・」
「いいよ」
「・・・・・・・・・・・明日からは大丈夫になるから・・・大丈夫にするから・・・」
「うん」

 そのままレイチェルは、彼女が泣きやむまで ずっと頭をなで続けた。
 何も聞かずに、ただアンジェリークの傍にいたのである。

NEXT
BACK>
TOP>>

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送