−9−

   森の湖は、とても静かな場所であった。風で葉がこすれる音まで、耳に届くほどに。
 今日は何故か鳥のさえずりも聞こえてこない。
 いつもなら、あの大樹に寄り添いあう小鳥達と必ず会えるのに。

「……」
「……」

 2人は到着したときから終始無言であった。
 エルンストは思いつめたアンジェリークにかける言葉がみつからず、彼女が用件を切り出すのを待っている。
 アンジェリークは、どうやってエルンストに想いを伝えればいいのかタイミングがつかめずに黙っている。
 滝のしぶきが上げる音が、いやに耳についた。

「…ははぁ…あの兄ちゃんのお相手は女王候補さんか。やっぱりなぁ…そら毎日通われたら惚れるってもんやろな」

 それを遠目で見つけたのは商人である。
 即興サービス「花束デリバリー〜あなたの恋愛応援します〜」を、早速実践すべく狙いをつけてここへやってきたのだ。
 情報通の彼は、最近のアルフォンシアの様子も、アンジェリークの行動もすでに把握済みである。
 そしていよいよ彼は確信を持ち、この花束の送り先はアンジェリークだと判断した。

 ―――――――現実は、違うのだが。

「あの感じ、まさに今から告白っちゅーところやろか。今から走れば間に合うかな?」

 そう思って、商人が走り出した時、アンジェリークが思い切って口を開いた。

「エルンストさん…」
「はい」

 お互いの視線がぶつかって、アンジェリークは心臓が破裂するのではないかと本気で思った。
 このまま気持ちがふくれて…どんどんふくれて、最後には収まりきれずに ぱん、と破裂するのではないかと。

(アルフォンシアもそうだったのかしら…?)

 アンジェリークは、ふと思った。
 自分のために、その身を犠牲にしようとした聖獣。
 その想いは危険なほど一途で、真っ直ぐで―――――――恋に似てる。

 アンジェリークは、小さく息を吸った。

「私、エルンストさんが好きなんです…」

 滝の音にかき消されないように、頑張ってアンジェリークは声を出した。
 2度言う勇気はなかった。

「…あの…アンジェリーク…それは…つまり…」

 突然の告白に面食らったのはエルンストである。
 寄せられる好意に鈍感な彼は、自分が想われているなど、露ほども考えていなかった。
 自分の恋心さえ、ようやく昨日自覚したエルンストである。
 正直、アンジェリークのことを女王候補とでしか認識していない。

 慌てた様子の彼に、アンジェリークは哀しそうな微笑をした。
 そこへ。

「お待っとさーん!」

 弾丸のように飛び込んできたのは、緑色の髪を振り乱した商人だった。
 それでも風で花びらが痛まないように、花束はしっかりと保護されている。

「え?え?…あの…商人さん…?」
「どうなさったんですか、一体」

 突然の乱入者に2人が驚いたのは言うまでもない。
 だが、そんな彼らにはお構いなしに、商人は肩で息をしながらも、にっこり笑ってその花束をアンジェリークに渡した。

「はい。確かに届けたで」
「え、あ、ありがとうございます。…あれ? あの、でも…」

 アンジェリークが目を丸くしたのと同時に、エルンストは小さく声を出しそうになった。
 まずい。
 非常にまずい。
 エルンストの眉間に皺が寄り始めた。

「アンタの大事な人からのプレゼントや」
「え?」

(早く消えてください…早く…今すぐに!)

 エルンストは切に祈った。
 商人の行為に悪意がないのは分かるが、明らかにこれは「好意の空回り」である。
 エルンストにしてみれば、状況が悪化しただけだ。

 商人は、エルンストの方を向いて「バッチリやで!」とウインクしようと思ったのだが、それは叶わなかった。
 むしろ悲鳴をあげそうになったほどである。
 そのくらい、エルンストの眉間には深い皺が刻まれていた。

「ほ、ほな、邪魔者は退散させてもらうわ…。 これ、サササービスにさせてもらうさかいお代はええよ…。じゃっ、女王候補さん、またなー」

 そう言うと同時に、商人は逃げるように走り出す。
 ようやく自分の勘違いに気づいたのだが、時すでに遅し。
 花束はもはやアンジェリークの両手にある。
 今更、「間違いでした」とは取り返せない。

「あの…これ、もしかしてエルンストさんが…?」

 商人が消えたあと、おずおずと、アンジェリークが聞いてきた。
 こうなってしまっては、隠すのも不自然だろう。
 エルンストは軽い溜息を吐いてから答えた。

「ええ。………あなたの女王ご即位のお祝いに。―――――――アンジェリーク、これが私の答えです」

 そう言って、彼は眼鏡を押し上げた。
 いつもの彼の仕草だった。

「あなたはきっと素晴らしい女王になるでしょう。その素質をお持ちです。アルフォンシアもあなたを慕っています。ですからどうか…新宇宙を正しく導いてください。私に出来るのは、その新宇宙の様子を、ここから観察するだけですが…あなたの幸せを祈っています。ずっと…」

 真摯な瞳に見つめれて、なぜだかアンジェリークは心が軽くなっていくのを感じた。
 告白は失敗したし、さきほどのやりとりからエルンストに誰か想い人がいるのが察せられたが、それでも嫌な気持ちはしなかった。
 もとより玉砕覚悟で望んだ告白だったのだからかもしれない。

 それでも、大好きな人からもらった優しい言葉が嬉しい。
 このまま胸に秘めてやりすごしていたら、一生もらえなかっただろう言葉。
 すこし切ない痛みを伴うけれど、優しさで満たされた祝辞。 

「ありがとうございます、エルンストさん」

 だから、素直にお礼が言えた。

「お心をわずらわせてしまって、すみませんでした。でもこれで、気持ちの整理が出来ました」

 そう言った彼女の笑顔は、普段のおっとりとしたものとは違い、強くて鮮やかなものだった。
 エルンストは、黙って彼女の言葉を聞く。

「私…女王陛下のようになれるよう、新宇宙でも頑張りますね。アルフォンシアと一緒なら、頑張れると思うんです」
「そうですね。あなた達なら、大丈夫だと私も思いますよ」

 そうして2人は、今日初めて微笑みあった。

「もう、戻らないと…」
「では送りましょう」

 だがアンジェリークはエルンストの申出をやんわりと断った。

「エルンストさんご存知ですか?この森の湖の噂」
「いいえ」
「一人の時に、この滝に向かって愛しい人のことを想うと、その人が現れるって話ですよ。 試してみたらどうですか?」

 エルンストは、彼女の真意が掴めない。

「アンジェリーク、それはどういう…」
「それじゃ、エルンストさん、お花ありがとうございました」

 アンジェリークは大きくお辞儀をすると、そのまま花束を抱きしめて駆け出してしまった。
 部屋まで送ることを断られたエルンストとしては追いかけるのも気が引けて、その後姿を見遣るだけである。

「噂だなんて…そんな信憑性のないものでも、あなたは信じるんですね」

 小さくなっていく少女の後姿に向かって、エルンストは苦笑いをした。

 

NEXT
BACK>
TOP>>

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送