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  「今週の2人の成果は以上です。最近はアンジェリークの育成が緩慢になりつつありますが、それでもレイチェルとの差は依然としたままです」

 透き通るブルーに統一された落ち着いた一室では、王立研究院の主任が一週間分のデータを女王補佐官に報告していた。
 几帳面そうな顔をした彼は、左手に抱えた数値をすらすらと読み上げる。
 その深い声は凛としていて聴きやすいものだ。
 女王補佐官は一通り彼からの報告を聞くと、本題に入った。

「エルンスト主任、アンジェリークの育成が緩慢になっていると おっしゃいましたわね。それはどうしてですの?」
「はい。アンジェリークが育成を一時中断し、アルフォンシアと毎日交信しているためです」

 目の前の女王補佐官――――ロザリアからの質問を予想していたのであろう。エルンストは一枚の紙片をロザリアに手渡した。

「もちろんそれは育成の放棄ではありません。実際、アルフォンシアが不安定な状態にあるため、望みに変化が現れているせいです。
効率よく育成するためには望みに叶ったサクリアを送るのが最も適当だと思われます。……もっとも、アンジェリークの場合、
ただ心配で通っているだけでしょうが・・・」

 そこまで言って、エルンストは眼鏡を中指で押し上げた。
 苦笑した口もとを隠すためかもしれない。
 アンジェリークの柔らかな物腰と、いつも穏やかに微笑んでいるその姿は、誰からも好かれるものであった。
 あのジュリアスでさえ、彼女の育成の中断について注意することもなく静観している。
 だからエルンストもこれと言って騒いだりはしなかった。
 一介の研究員という立場をわきまえてのものでもあったが、とにかく、誰もがアンジェリークを信頼していたのである。

「アルフォンシアが不安定・・・、ですか? それは心配するほどのものでは ありませんの?」
「おそらくは。 ただ少し気になる部分もあります」
「とおっしゃいますと?」
「臨界にしては、この周期は短すぎる。・・・・・・異常と言えるほどに」

 途端にロザリアの顔が曇った。
 形の良い眉がひそめられる。

「まあ・・・では、何か問題が起きているのですね」
「現時点では確かなことは言えません。私の思い過ごしかもしれませんので。・・・ですが、お心に止めておいて下さい」
「わかりました。では陛下のお耳にも入れておきましょう」

 そこまで言うと、ロザリアはにっこりと微笑んだ。
 その笑顔を会話終了の合図と見て取ったエルンストは研究院に戻ろうと、一礼をした・・・はずみにレポートに止めておいたペンが滑り落ちてしまった。

「失礼・・・」

 彼が拾い上げようとする前に、ロザリアは 上等な絨毯にその身をうずもらせたペンを拾い上げてエルンストに手渡す。

「はい」

 とたんに、なんともいえない良い香りがエルンストの鼻をかすめていった。
 ロザリアがつけている香水だろう。
 控えめで、よく近づかないと気づかないほどの香り。
 けれど蜜のように甘やかで、露に濡れた花のようにやわらかい。
 うっとりするほどの良い香りであった。

「ありがとうございます。・・・・・・素敵な香りですね」

 香水をつけてらしたんですか、などと訊くほど野暮な歳の取り方はしていないらしい。
 少し惚けた頭からやっとそれだけ言うと、目の前にはとても驚いた顔をした女王補佐官がいた。
 こんなに露骨に驚いた彼女の顔を見るのは、エルンストは初めてである。

「まぁ・・・嬉しいわ。貴方からそんな言葉を頂くなんて、思いもよりませんでしたもの」

 少女のように頬をバラ色に染める補佐官を、くらくらする思いでエルンストは見つめた。
 今まで気にもとめていなかったような、彼女の細く白い指や、瑞々しい肌をした首筋や、滑らかな曲線を描く四肢が、次々と彼の目に飛び込んでくる。

 どうして今まで気づかなかったのだろう。
 自分の目の前に立つ女性が、絶世の美女だったということに。
 いや、知ってはいたのだ。初めて会ったときから、美しい人だとは思った。
 けれどこんな風に・・・そう、こんな風に自分の脳髄を痺れさせるような人物ではなかったはずだ。

 エルンストは必死になって冷静になるように努めたが、結果は逆効果であった。
 思考が絡まって、攪拌する。――――動悸さえしてきた。

「あの・・・どうかしまして?」

 心配そうに見つめてくる蒼い瞳が、さらに心臓を早鐘のように鳴り響かせる。

「い、いえ、お気になさらず・・・そ、それでは失礼します・・・」

 ようやくそれだけ言うと、耳まで赤く染めたエルンストは補佐官の部屋を逃げるように出て行った。

「・・・・・・わたくし、おかしなこと言ったかしら?」

 彼が出て行ったドアをみれば、その床には先ほどひろったばかりのペンが所在なさげに転がっていた。

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