−3−
  「オスカー様と一緒にいると緊張しちゃうんです」

栗色の髪をした女王候補のお嬢ちゃんは、飾りの無い言葉でそう告げた。
上気した頬からは、甘い香りが立ち上っている気がする。

「…俺が怖くて?」
「いいえ」

静かな声でたずねると、自分の下で横たわる少女はゆっくりとこちらを向いた。
まだ顔は赤かったが、それでも先ほどとは違う表情だった。
とても真っ直ぐに俺の眼を見る。真剣な表情。

俺の背中を走る、甘い緊張感。

「ほら。怖くなんかないです」

そう言って、彼女は仰向けのまま俺の頬を両手で包んだ。
意外にも、彼女の手は冷たくて俺にはそれが心地よかった。
そして彼女はかすかに微笑む。
まるで殺していた息をそっと吐くような慎重さで。

「だからオスカー様も、私のこと怖がらないで下さいね」

俺は耳を疑った。

「…なに?」
「私があなたを傷つけられないように、あなたも私も傷つけない。だから警戒しなくていいんですよ」

滝の音がすぐ傍でなっているのに、彼女の言葉はひとつもかき消されることなく俺に届く。
なのに、その言葉の意味は届かない。

「心外だな。俺がお嬢ちゃんを警戒していると? 俺はいつだってお嬢ちゃんの傍にいられないことを悔しがってるんだぜ?」
「オスカー様って嘘つくのがお上手じゃないですよね」
「どうしてそう思う?」
「眼が…動揺してますよ。自覚ないんですか?」

お嬢ちゃんが、きょとんとした顔で聞いた。
無自覚なのはどっちだ…。
こっちはお嬢ちゃんのコロコロ変わる表情に一々反応せざるを得ないというのに。

「オスカー様の緊張が私にうつるんです。 ほんの一瞬なんですけど…なんていうか『覚悟する瞬間』みたいなものがあって、
その時すごく真剣なお顔をされるから私も緊張しちゃって…」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ」

おい、それは俺の台詞だぞ。

「俺の方こそ、お嬢ちゃんの真剣な瞳に引きずられて緊張しただけだ。先に緊張したのはそっちだろう」
「そんな…オスカー様が先ですよ」
「いいや、お嬢ちゃんだ」
「オスカー様です」

――――待て。なんで俺はお嬢ちゃんのペースに巻き込まれてるんだ?
軽く笑って、いつも通りに流せばいいじゃないか。
わざわざ張り合うなんて大人げない。

「…あの、どいてくれませんか?」

そう思っていたら、さっきから至近距離のままの俺に、彼女が決まり悪そうに言った。
向こうも少し冷静になったらしい。
ようやくまた羞恥心がこみ上げてきたわけだ。
彼女は顔を赤らめて背けた。

「…見ないで下さい…恥ずかしいです」
「どうして? こんなにお嬢ちゃんの近くにいられるのに、なかなか意地の悪いことを言うんだな」
「オスカー様の方が意地悪です。だから、あの…っ…、早く どいてください」

さすがに女王候補を泣かすわけにもいかないので、俺は素直に離れた。
彼女はゆっくりと起き上がり、まだ赤い顔を必死で隠している。
お嬢ちゃんには少し刺激が強すぎたか。

「・・・じゃあ、別に私が苦手なわけでもないんですね」

彼女の背中がそっと呟く。
その声に喜びを聞き取ったのは、俺の都合の良い耳のせいだろうか?

「確かめるか?」
「…え?」

俺は立ち上がって、彼女に手を差し伸べる。
彼女はためらいがちに俺の手を取って立ち上がった。

「次の日の曜日にデートをしようってことさ。一日たっぷりかけて俺という男を知ればいい。俺がむしろお嬢ちゃんを気に入ってることが分かってもらえるだろうからな」
「そう言ってもらえると嬉しいです」

彼女が珍しく満面の笑みで返事をした。
相変わらず俺の予想外の反応だ。てっきり俺は赤面するかと思ったんだがな。

しかし笑顔の彼女は歳相応に見える。
今まで微笑むところしか見たことがなかったが、笑うと幼くなるんだな。
そこまで考えて、彼女の仕草一つ一つに目を奪われている自分に気づいて苦笑した。
気づかぬうちに…というやつが一番厄介なことを俺は知っている。
ここは深入りする前に退散した方が良さそうだ。

「俺だって誘いを受けてくれて嬉しいぜ。さて、これ以上の幸せは身に余るというやつだ。そろそろ戻らないか。部屋まで送ろう」
「はい。ありがとうございます」

素直に彼女が返事をして、俺の横に立った。
俺はまだ何やら不思議な気持ちで傍らの彼女を見つめる。

アンジェリーク・コレット。
いまだ掴みきれない花の蕾の名前。
俺の予想をいつも軽く越えてしまう破天荒なレディ。
この俺を追いかけさせた唯一の少女。

―――花が咲いた時が見ものだな。

その花を最初に見るのがこのオスカーであって欲しいと、なぜか願ってしまう俺だった。
・・・日の曜日が楽しみだぜ。

***

帰り道。

「オスカー様」
「なんだ?」
「私が逃げ出したこと、内緒にして下さいね」
「もちろん。約束するさ」

この約束が仇になり、翌日ジュリアス様に呼ばれた俺が灸を据えられたことを彼女は知らない―――――。

 

・END・

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