<恋兎>

 

 
そこは、心地良い夜風が穏やかに吹く場所でした。
相変わらず お月様は星空の真中にぽっかりと浮かび、大地を優しく照らしています。

今夜も、少しだけ盛り上がった丘に恋人同士の兎が肩を並べて座っていました。
雄兎のぴんとした耳の影が、ずっと長くに伸びています。
そんな影を知っている事が雌兎にはとても幸せに思えるのでした。

 

「ねえ」

と、雌兎が囁くように言いました。

「幸せすぎて怖いわ」

雄兎には、雌兎の言う事が分かりませんでした。

「怖い? どうして?」
「ある日、あなたが私の前から消えてしまったら、私どうすればいいのか分からないもの」

雄兎は笑おうとしましたが、彼女の目が真剣であることに気づいて、やめました。

「君の前から消えないよ。だからそんな心配はしなくていい」

つとめて優しく雄兎は言って、そっと彼女の肩を抱き寄せます。
すると、お月様に見られているのが恥ずかしいのか、雌兎は顔をうつむかせるのでした。

「もしもの話よ。私、真剣に悩んでいるのよ」

頬を膨らませて抗議する雌兎を見て、雄兎は仕方のない恋人だ、と苦笑します。

「起こりもしない事に悩むのは無駄というものだよ。そんなに心配なら消えないように僕を捕まえておけばいい。決して逃げないから」

なるべく彼女好みのドラマチックな言葉を選び、雄兎は慣れてしまった恋人の悲壮感ごっこに付き合うのでした。

彼は知っているのです。
そうすると雌兎はようやく満足して、彼に可愛らしい笑顔を見せてくれることを。
彼女の瞳は月の光を吸い込んで、より一層輝くのでした。

 

「ねぇ」

少したって、雌兎がまた強くない声で語り掛けました。

「好きという気持ちは、どこへ行ってしまうのかしら?」

今度は雄兎は黙っていました。
彼女が話し終えるまで、きちんと聞こうと思ったからです。

「あなたのことが好きって気持ちは、もう、きっと私の心から溢れているはずなの。だって後から後から出てくるんですもの。そんな『昨日の好き』や『一時間前の好き』っていうあなたに届かなかった気持ちはどこへ行ってしまうのかしら?」

雄兎は、彼女の言葉に優しく目を細めました。

「それは『今』さ。君の声やしぐさや表情に全部凝縮されて僕に届いてる」

雌兎の疑問はまだ消えません。

「じゃあ、『今の好き』はどこへ行くの?」
「僕に」

雄兎はそのまま雌兎の口を自分の口で塞いでしまいました。
雌兎は恥ずかしくて、両耳をぱたぱた動かして離してくれるようにせがみます。
彼女の柔らかな毛並みが顔に当たってとてもくすぐったかったけれど、雄兎はこれ以上雌兎が疑問など言えないくらいたくさんのキスをして彼女を黙らせるのでした。

 

こうして、恋人たちの夜はふけてゆくのです。
その甘い会話を、空に浮かぶお月様だけが微笑みながら聞いているのでした。

 

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