No Smoking ,Please

 

「ねえ、煙草やめなよ」

 牧野健太郎が、あたしの髪をくいっと引っ張った。

「あん?」

 反動でアゴを上に向けながら、あたしは不遜な態度で振り返る。
 コイツは背が高いから、ちょうどにらむ格好になる。

「たばこ。やめた方がいいよ」

 にっこりと健太郎ことケンタが笑った。コイツは年中笑顔の大安売りだ。無愛想のあたしとは対照的に。

「悪い。匂ったか?」

 あたしは煙草を吸うが、ケンタは嫌煙家だ。だからあたしはコイツの前では吸わないようにしてる。
 コイツの場合は更に喘息もちだから、近くでは絶対に吸わない。

「んー、少しね。でもそれより俺は瑞希ちゃんの健康を心配してるんだよ」
「…いいから、まず髪を離せ」

 ヤツの手がまだあたしの髪をもてあそんでいたので、それをふり払う。
 ふしばった指から茶髪がするりと落ちた。

「体に良くないよ。瑞希ちゃんは女の子なんだから特に。子供を産む人は体を大事にしなくちゃ。ね?」
「子供ができたら、やめるからいい」

 あたしはそっけなく返した。
 ケンタは時々こうやって、あたしに禁煙をすすめる。
 もうこれで何度目になるんだろう。

「でもでもっ、背が伸びないよ」
「165 あるから充分。縮みたいくらいだ」
「肌、荒れちゃうよ?」
「ビタミン剤飲んでるから平気」
「せっかくの香水も台無しだよ」
「ば、ばかっ。香水なんてつけてない」

 いきなり顔を近づけたケンタにびっくりして後ずさった。ああ、心臓に悪い。

「そうなの? いっつも、いい匂いがするのに」

 心底不思議そうに首をかしげて、あたしを見る。
 ……しれっとしてそんなこと言うな。

「ばか」

 あたしの独り言はケンタには届かなかったみたいだった。
 いつもの幸せそうな笑顔のままだったから。

「とにかくさ、瑞希ちゃんの健康を損なう恐れがあるんだよ。寿命が縮むよ」

 どうやら話を戻したみたいだ。今日はやけに頑張るじゃないか。

「いいんだ。長生きしたいとは思ってない。それで寿命が縮んでも、それが寿命だと思うから構わん」

 ふふん、と不敵に笑ってやったら、途端にケンタの表情が曇った。

「そういうこと言わないでよ。俺、本当に瑞希ちゃんのこと心配してるのに。…早死にしてもいいとか言わないでよ…」
「ご、ごめん」

 ものすごく哀しそうな顔をされて、あたしは反射的に謝ってしまった。
 あとから考えれば、それは全部ケンタが勝手にやってることだから、あたしには何も責任がなかったのだけれど。
 そのときは、とにかくその顔に言わされてしまった。

「じゃ、やめてくれるんだね?」

 にぱっと笑ってケンタが言った。
 だねって何だ、だねって。 なんで付加疑問文なんだ、コラ。
 あたしは何だかうまく乗せられたような気がしてきた。

「いや、でもやめられないし」

 そうなのだ。あたしは別に煙草が好きなわけじゃないが、なんとなく咥えて、なんとなく吸ってしまうのだ。

「…口寂しいから?」
「うん、まあそんなところ」

 あたしがそう答えたら、ケンタはこれ以上ないってくらいニッコリ笑うと、目にも止まらぬ早わざで触れるだけのキスをした。

「ほら、これで解決」

 前触れもなく唇を奪われて、あたしは当然怒った。
 というかキレたので、とりあえずこの男を力いっぱい殴った。もちろんグーで。

「恥を知れ! バカ野郎!!」

 今までに、キスの後にこんな罵声を放った女なんていないだろう。
 でも構うもんか。あたしは、これをするだけの権利があるんだから。

 ケンタは殴られた勢いで…ではないが、その場にしゃがみこんだ。やや痛そうに左頬を押さえてあたしを上目遣いで見る。
 くそー。あんまりこたえてないな。
 なんか握って殴りゃよかった。 それか、せめてアゴにでもアッパーかましてやればよかった。
 …でも、こんな目でみられてもう一発は殴れるハズがない。

「瑞希ちゃぁぁん…痛いよぉー」
「うるさい」

 殴ったんだから当然だ。痴れ者め。

「せっかくいい解決法だと思ったのになぁ。…俺には幸せを。瑞希ちゃんには健康を。ね?」
「ケるぞ」

 言いざまに、あたしはケンタのバランスの悪そうに曲げた膝を蹴ってやった。

「…っかしいなぁ。チュ−から恋が始まると思ったのに…。予定と違う……」
「お前……………それは少女マンガの読みすぎだ」

 さすがにこのセリフには怒りより呆れの方が沸いた。

「世の女みんながケダモノを好きになると思うなよ」

 人を欲求不満そうに言いやがって。

「ケダモノなんて、ひどい……」
「黙れ色魔」

 二度とこんなとち狂った真似などしないように、ちゃんとトドメを刺しておこう。それが世のため、あたしのためだ。

 ケンタは相変わらず、その長い足を抱えて座り込んでいる。
 あたしはその前に仁王立ちして見下ろしてやった。

「ケンタ。最後に言い残すことはあるかい?」

 あたしのセリフにケンタはすくっと立ち上がり、珍しく真顔になった。

「愛してる」

 あたしは眩暈がした。
 血の気が引いたためか、それとも血が上ったためかは分からない。
 とにかくあたしが一瞬だけ絶句したのは確かだ。

「――――――― 死ね」
「うわああああっ!! ごめんなさい、ごめんなさいっ―――――!!!」

 これでもかってくらい弁慶の泣き所を蹴ってやり、あたしは痛みにうずくまるケンタに背を向けた。
 もうケンタなんて知らん。二度と一緒に遊んでやるもんか。

「お前なんてキライだ」
「でも俺は好きだよ」

 間髪入れずにそんなセリフを返してくる。なんて自己中なヤツなんだ。許せん。

「お前が近づけないようにしばらくは煙草を吸いつづけてやる」
「ええぇ〜。なんか俺、蚊みたいでやだなぁ…」 

 思わず笑いそうになってあたしは必死にこらえた。背中をみせてるから、きっとバレてはいないはずだ。

 ケンタの計画どおりに進むのは癪だから、しばらくは怒った振りをしていよう。
 これが原因で惚れたと思われるのはあたしの沽券にかかわる。

「…犬になめられたとでも思うさ」

 ヤツには聞こえないように呟いて、あたしは熱い頬を隠しながら、まだうずくまってるケンタを後にした。
 ばいばーい、と間の抜けた声がいやに耳に残って離れなかった。

 

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