−5−

   ざくざくと枯葉を踏みしだき、男は一目散に走って逃げた。
 青白く光った月はもう西に傾き、空は薄藍色に染まっている。
 夜明けの刻だった。

 男は体を折り曲げて、切らした息を整える。
 冷たい空気で肺を洗うように。血のにおいを消すように。
 そうしてそのまま背中から倒れて、天を見た。
 朝の到来を知らせる鳥の声が聞こえる。途端に男は猛烈な睡魔に襲われた。

 もう眠ろう。
 そして今日、あの女を殺そう。

 男はそう心に決めて、夜露を含んだ空気を深く吸い込むとそのまま眠りについたのであった。

******

 太陽が頭上に昇る頃、男は眠りに着く前の決断を、実行に移そうとした。

 ―――――女を殺そう。でなければ、あいつは俺を殺すに違いない。

 それは確信に近かった。
 不思議と疑問も湧かないほどに、当然の事のように思われた。
 だから男は迷いもせずに屋敷に入り、前と同じように縁側に座っている女の目の前に立った。

 相変わらず空虚な目をして、女は座していた。
 白い肌。
 はためく頭巾。
 昨夜とは別人の顔。

 男は、夜の、あの女に変わる前に、その細い首を締めてやろうと思った。
 女の首に両手をかけたその時。

 「くせ者!! お嬢様から離れぬかっ!!」

 しゃがれているが、精一杯張り上げた声がした。
 同じ邸に住んでいる女の世話役の老婆であった。
 懐から短刀を出して、突進してくる。

 男は舌打ちをして女から離れた。
 老婆の太刀さばきなど、かわすのは造作のないことだ。
 だが面倒でもある。

 男は老婆に当身をくらわすと、邸を退くことにした。
 縁では白肌に指模様の赤黒い痣をつけて、女が倒れているままだった。

*******

 秋の月は気持ちを神妙にしてくれる。
 男もまた、昼間よりも落ち着いた気持ちで邸へと向かっていた。

 これから殺そうという相手に、男は手土産を持ってきた。
 腹が膨れ、脂ののった川魚である。
 昨夜の惨殺の印象が、あまりにも強すぎたのかもしれなかった。

 音を立てずに座敷に上がると、案の定几調の奥で女が寝ていた。
 男は衝動的に女の腰をかき抱き、逢瀬を契る。
 女は何も言わずに男の激情を受け止める。

 そうしてしばらく乱れた後、男は褥から出た。
 女がそれを目で追い、かがんで自分を覗き込む男の頬をなでる。

 白い腕が月光に映えた。
 少し乱れた髪と、眩しそうに細められた眼が、男の脳を刺激する。
 体温を感じさせない肌が、男の殺意を希薄にさせる。

 男はどうしたらいいか判らなくなって、とりあえず持ってきた川魚を女に手渡した。
 かがんだ男の影に覆われて、女が男を見上げる。
 それから手の中の魚を見て、

 「……罪深いこと……」

 と呟くのが聞こえた。
 それは魚を捕らえた男の罪なのか、卵を産む前に捕らえられた魚の罪なのか、それともそれを食べるだろう
 女の罪なのか、それとももっと他の罪なのか、男には判らない。

 判らないけれど、もう一度小さく呟いた女の顔が哀しげなのだけは分かった。

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