沢田一編
せっかく久しぶりのデートだってのに、天気予報は最悪だった。
「午後から雨になるでしょう。お出かけになる際はカサをお持ちになって下さい」
俺は安いビニル傘を持って外に出た。
なんだかんだと忙しさに紛れて、彼女とはもう半月くらい会ってない。
お互いに忙しく、時間が合わないのも事実だった。
だけど、そんなの理由にもならない。本当は何よりも彼女との時間を優先すべきだったんだ。
だから、今日は無理やり時間を作って逢うことにした。
付き合って間もない頃は毎日電話してたのに、最近はそれもない。
夜の11時は決まって3回ベルが鳴ってたのに。
あの音を聞かないと夜は眠れない、って彼女は言っていたのにベルが鳴らなくなってもう半月が過ぎてしまった。
いい加減彼女の堪忍袋の緒も切れる頃だろう。いや、もう切れてるかもしれない。
とにかく俺は、今日は出来る限り彼女の望むことをしてやろうと思った。
それで帳消しにしてもらおう、とかそんなことは考えちゃいないけど、
それで俺の謝罪の気持ちが少しでも伝わればいいと思った。
自分がどれだけ彼女を大切に思ってるか、分かって欲しかった。
だけど、ようやく今日の約束をとりつけたのに電話口の彼女の声は沈んでいた。
どうしたんだろう? 怒っているのとは、少し違う様子だ。
俺は最近の彼女を知らない。だから何で落ち込んでいるかも皆目見当もつかない。
早く逢いたい。
逢って話をすれば、理由も分かるし、行動もできる。
ずっと放って置いた自分が悔やまれた。
******************
「よっ」
「…久しぶり」
待ち合わせ場所で、めずらしく彼女の方が早く来て待っていた。
いつもは俺の方が早くきて、彼女は申し訳なさそうに、でも嬉しそうに小走りでやってきてたのに。
そして俺は、いつもその様子が犬みたいで可愛いと思ってたんだけど。
…やっぱり、彼女の様子が少しおかしい。
さっきから俺の方を見ようとしない。眼を伏せて、軽く会釈をしたきり眼を合わせようとしない。
「ごめん。ずっと会えなくて」
俺はとりあえず、拗ねてるのかと思ってとにかく謝った。
両手を合わせて拝むように平謝りする。
…他の奴らにすればかっこ悪いかもしれないけど、なりふり構ってられないんだ。
俺は彼女が好きなんだから。
「お詫びに今日は何でも言うこと聞くからさっ。な?
何でも言ってくれよ。俺、今日は全財産はたくつもりで来てるんだ。遠慮せずに言って」
つつましい彼女が俺を自己破産に陥れさせることはないだろうけど、俺はそう言った。半分本気だった。
そこでようやく彼女が弱々しく笑って俺の方を見た。
「…話が、したいの…。お茶、飲まない…?」
普段の彼女とは似ても似つかない細い声でそう言った。
「分かった」
深刻そうな彼女に冗談も言えなくて、俺は一言そう言うのが精一杯だった。
***************
全体をレトロ調に統一した喫茶店で俺達は向かい合って座った。
彼女から話があると言ったわりには話しづらいのか、なかなか話を切り出さない。
催促するのも可哀相な気がして、注文したコーヒーが来るまで、俺は近況をべらべらと彼女に話し続けた。
その間ずっと彼女はそわそわしながら俺の話に相槌をうつ。
会わない間に伸びた前髪がそのたびに揺れて、彼女の目を隠す。
俺は段々何を言われるのか不安になってきた。
「カサ、持ってこなかったのか?」
窓の外で雨が降り出したのを見て、俺はふと訊いてみた。
「え…? あ…うっかりしてて」
降ってきちゃったんだ、と彼女が同じように外を見て呟いた。
そして俺がコーヒーを飲むために出来た沈黙に、ようやく彼女が話を切り出した。
「あの、ね……」
「うん」
「わたし、言わなきゃいけないことがあるの…」
目の前のコーヒーに手をつけずに、彼女はカップの中の液体を見てる。
俺は覚悟を決めてじっと彼女の言葉を聞いていた。
「……好きな人が…できたの…だから……」
「………」
「…ごめんなさい……」
一瞬、頭の中が白くなったのが分かった。
ホントは少し予感してた。今日の彼女を見たときに良い事じゃないって分かってた。
それでも、少しは望みを持ってた。
「…そっか…」
夢だったらいいのに。
…目が覚めたら、デートの前日だったらいいのに。
だけど、目の前でうつむいてる彼女は本物だ。
「…俺は君がまだ好きだよ。好きだけど…こればっかりはしょうがないよね…」
苦笑まじりにそれだけ言った。
本当はもっと気の利いたセリフが吐ければ良かったけど、今の俺にはそんな余裕はない。
泣いてしがみついて頼み込んでも彼女の俺に対する気持ちは冷めてしまった。
どうしようもないんだろう。
もう、手遅れなのだ。俺は間に合わなかった。
ようやく顔を上げた彼女の目には、いっぱいの涙が溜まっていた。
こぼさないように我慢してるようだった。
「あなた…優しすぎるよ…優しすぎるから……ごめんなさい…」
嗚咽を飲み込んで、彼女は立ち上がった。
…もう帰るのか。
「これ、使って」
俺はとっさに今朝持ってきたビニル傘を彼女に差し出した。
「え? …でも…」
「いいから。俺は濡れても平気だから」
俺は笑顔も悲しむ顔もできずに無表情のまま彼女を見上げる。
声のトーンだけはきつくならないようにして。
彼女にしてやれるのは、もうこれが最後だから。
「…ありがとう」
「返さなくていいから。…安もんだから気にしなくていい」
傘を受け取るとき、彼女がまばたきをして、その拍子に両目から涙がぱたぱたと落ちた。
俺はそのとき初めて涙が音を立てるのを聴いた。
…泣かせるつもりはなかった。大切にしたかった。
なのに、泣かせてしまった。
「ごめん」
呟くように俺は謝った。
いくら謝っても許されない気がするけれど。
「…ばいばい」
敢えてさよならとは言わずに、彼女は店を出て行った。
俺は結局一口も飲まなかった彼女のカップを見て、大きくため息を吐いた。
今日が雨で良かったかもしれない。
晴れてたら、もっとやるせなかっただろうから。
********************
行く所もなくてのろのろと公園わきを歩いていると、猫の声がした。
なんとなく探してみたくなって、俺は公園の中に入った。
雨の公園には誰もいない。
ずぶ濡れの俺がいても、不審に思う奴はいない。
だから丁度よかった。
「……っかしーなぁ…声はするのに」
俺は一生懸命になって探したが、見つからない。
半分諦めかけたとき、また鳴き声がした。
「やっぱいるんじゃん。 おーい、どこだー? いたら返事しろぉぉ」
しーん。
「……おーいってば…」
ちくしょう。猫まで俺をフるのか?
泣きたくなったとき、また声がした。
「お。よしよし。ここら辺から声がしたぞ……と見つけた!
こんなとこにいたのかよー。そりゃ確かにここなら雨に濡れないけどさ。
人にも見つからないぞ、こんな場所…ったく…」
声の主は濡れた仔猫で、それはベンチの下にダンボールの箱ごといた。
誰かが移動させたんだろうけど、あまりいい場所じゃないな。
「お前、ちっちゃいなー。震えてんじゃん。
あ、なんだよ。別にいじめやしねえよ。おい、こら…」
手のひらから少しはみ出すくらいの仔猫は、生意気にも俺の手から逃れようとして爪で反抗してみせた。
「はん。お前の爪なんて痛くねぇよーっだ。
…ほら、じっとしてろよ。こうすりゃ、少しはあったかいだろ?」
むずがる仔猫を上着の中に入れてやると、
温かくて安心したのか仔猫はすっかりおとなしくなった。
「ごめんな。俺もずぶ濡れで。
ちゃんとカサ持って出てきたんだけど、彼女にあげちゃったんだよ。
しょーがないじゃん? 女の子濡らすわけにもいかないし」
まあ、お前も濡れてるから変わらないか。
俺は仔猫相手に語りだした。
「アイツって、ああ見えて意外と抜けてっからさぁ…
別れ話切り出すのに頭一杯だったんだろうけど…なぁ?
俺には分っかんねーよ。優しくて何がマズかったんだ?」
すると胸の中の仔猫は、知った風に一声鳴いた。
こいつ…。
「……女の子は俺には複雑すぎるよ。まったく……」
俺の愚痴は雨の中に消えてしまった。
「あっ…」
「え?」
ほんのちょっとして、間近に人の声がして俺は振り返った。
そこには、傘を差した女の子が驚いた顔をして立っていた。
「こ、こんにちは」
「あ、どうも…」
我ながらマヌケな挨拶だ。
「あの、そのこ、飼ってくれるんですか?」
「え、あ、いや…鳴き声が聞こえたから見てみただけで、今は何とも…」
早合点されるのは困る。俺は正直に話した。
「あ、そうなんですか」
「君の方は? …それとも捨てた方?」
「いえ、私も同じでさっき見つけて、今たいやき買って来たんです。お腹すいてると思って」
俺にタイヤキの入ってるらしい茶色の袋を見せると、胸の中で仔猫が見事に反応した。
「あー、なるほど。優しいね。俺そこまで気が回んなかった。
…もっとも、こんな濡れネズミじゃ店なんて入れないけど」
きっとアイツでも同じことをしてただろう。
そこまで考えて、未練がましい俺に苦笑した。
「あのっ…良かったら、たいやき食べます?
丁度二つ買ってきてるし、……甘いもの嫌いじゃなければですけど…」
「え!?でも誰かにあげるために買ったんじゃないの?」
それは予想外の言葉だった。
そもそもこんなに濡れてる男を怪しく思わないか?
「いえ、一つだけ買うのがカッコ悪かったから二つ買っただけなんで」
…面白い理由だな。
「このこに一匹は大きいだろうし」
なんだかせっかく誘ってくれてるのに断るのは悪いよな。
「いいの?」
「ええ。どうぞ」
「ありがとう。なんか悪いね。初めて会ったのに」
笑おうと思ったのに、雨で冷えた顔面の筋肉は上手く動いてくれなかった。
「いいえ、そんな…気にしないで下さい」
急に目の前の女の子は照れて見せた。面白い子だな。
「屋根のあるとこに行きませんか。花壇の向こうに屋根つきのベンチがありますから」
「あ、うん。そうしようか」
思考が鈍ってる俺は、素直に彼女の言葉に従った。
彼女はさっさと例のベンチに行くと俺にまだ温かいタイヤキをくれた。
「はい。どうぞ」
「ありがとう」
「おチビちゃんにも。はい」
彼女は仔猫用サイズにちぎった尾っぽを手のひらに乗せてる。
「…うまい」
俺はなんで、こんなところで見ず知らずの女の子とタイヤキなんて食ってるんだろう?
でも、とにかくもらったタイヤキは温かくてうまかった。
「良かった。……カサ、持ってないんですか?」
やっぱり不思議に思うよな。
「ん。…正確には持ってたんだけど、人にやった」
「優しいんですね」
社交辞令なんだろうけど、今日の俺にはその言葉は重い。
「馬鹿なだけだよ。自分をふった女の子に優しくしたって、どーしようもないのに」
「ふられたんですか?」
彼女が少し驚いた顔をして、すぐに「しまった」って顔をした。
「そ。好きな人が出来たんだってさ。俺は別れたくなかったけどね。
しょうがないよな、こればっかりは。
……そう言ったら、俺は『優しすぎるから』って泣きそうな顔された」
「…哀しいですね」
今日の出来事は、こんなに短い説明で終ってしまう。
俺の傷心は語り尽くせないのに。
横に座ってた彼女が本当に悲しそうな顔をしたので、俺は慌てた。
頼むから泣いてくれるなよ。
「あ、ごめん。変な話聞かせて。…やっぱ今の俺イケてないな。
頭回んないみたいで。ごめんな。愚痴なんか言って」
「いいえ、そんなこと…あたしの今日も、似たようなもんなんで。お互いつらい一日ですね」
「そうなの?」
そいつは意外だった。俺と同じ可哀相な境遇の人がいるなんて。
思えば考えもしなかったな。
「…ずっとメールのやり取りのあった男の子がいて…『会いたい』って言われたんです。
あたし可愛くないから、やだって言ったんですけど、『そんなの関係ない』って言ってくれて」
「うん」
そうだよな。「じゃ会わない」って言う奴はいないよな。
「今日、待ち合わせして、ずっと待ってたんです。
そしたらケータイに電話がかかってきて『ごめん、遅れる。今どこ?』って。
待ち合わせの場所だよ、って教えて、その後も待ってたんだけど全然来なくて。
…私から電話したら急に『行けなくなった』って」
「……ひでーな。遠くからそいつは一方的に見てたんだ」
話には聞いてたが、ホントにそんな奴がいるんだ。
「うん。…雨の中待たせて、こんな仕打ちひどいですよね。
そう思ったら悔しくて…いいように騙された自分も情けなくて…。ばかだったなあ、って思います。
その人のこと好きになりかけてたから余計に。
…あははっ…昨日まで舞い上がってた自分が許せないですね」
「でもそれは君が悪いわけじゃないじゃん。全面的にその男が悪いと思うな。最低だよ、そんな奴」
無理してる彼女が痛々しい。俺は慰めたかったけど、上手い言葉が見つからない。
「うん。でもやっぱり、見抜けなかった自分も情けなくて。泣けてきますよ。男性不審になりそう…あはは」
「…かわいそうな一日だったね」
「お互いじゃないですか」
…今の一言は結構痛かった…。その通りだけどさ。
「そうだなぁ…お互いかわいそうな一日だったねえ」
すると、タイヤキを食べ終えた仔猫が絶妙のタイミングで自己主張した。
「…そうだな、お前もだ。偶然にも不幸な二人と一匹がここで巡り会ったわけだ」
果たしてそれは喜ぶべきことか否か…。俺には分からない。
「すごい偶然ですね」
「三文小説並みだね」
俺は苦笑した。三文小説なら、ここで出会った二人は恋に落ちるんだろうか?
「ここまで来ると、こいつだけでも救ってやりたいが…俺の親がネコ嫌いなんだよなぁ…」
「…あたしのところもペット禁止なんです。マンションだから」
なんと。いきなり障害が。
「困ったね」
「はい…」
「このまま置いてったとして、誰か拾ってくれるかな?」
「どうでしょう…こんな雨じゃきっと外出してる人も少ないですし、期待できないです」
考えることは一緒のようだ。
「う〜ん、そうだよなぁ。しかも悪いことに明日も雨なんだよなぁ」
「……誰かに拾ってもらわないと死んじゃいますよね」
「だろうねえ。考えたくもないけど」
今こうして温かくて生きてるこいつが、冷たくなって動かなくなるなんて考えたくないな。
見ると隣の女の子が白い顔をして複雑な表情をしていた。
心配してるのかな?
表情からじゃ、何を考えてるのかよく分からない。
「…あたし、この子が拾われるまで毎日ここに来ることにします。家には連れて行けないけど、ご飯なら持って来られるし」
まるで意を決したみたいに彼女は言った。
「うん。俺もおんなじこと考えてた。それしか出来ないけど、それでもやらないよりずっといいと思う」
その間に誰かが見つけて拾ってくれるだろう。
「それじゃ、この子どこに置きましょう?」
この子は結構てきぱきしてる。きっと頭がいいんだろう。
「とりあえず雨風の当らないところで、野良犬とかに襲われないとこだね。…あそこでいいんじゃない?」
「そうですね。そこなら寒くもないでしょうし。それじゃ、あの穴の中に入れときましょうね」
俺が提案したアスレチックに彼女も賛成してくれた。
「うん。分かった。…また明日来るから。たいやき、ごちそうさん。俺、沢田一っていうんだ」
いい加減身体も寒くなったから、俺は帰ることにした。
タイヤキのお礼を言って、互いの名前を知らないことに気づき、自己紹介をする。
「あ…あたし、高橋あずみです」
脈絡のない自己紹介に、彼女はすこし驚いたようだった。
た・か・は・し・あ・ず・み…と。
俺は頭の中にその名前を叩き込んだ。
「よし、それじゃ、また明日ね。高橋さん」
いきなり名前で呼ぶのは馴れ馴れしいかと思って苗字にしておいた。
また明日なんて言ってる時点で充分馴れ馴れしいかもしれないけど小さいことは気にしない。
「はい。…また明日」
だが、意外にも彼女はにっこりと笑って返してくれた。
ふうん…。自分じゃ可愛くないって言ってたけど、そうでもないじゃん。
俺は少しだけ彼女に興味がわいた。
それは決して恋愛感情ではなかったけれど、少なくとも奇妙な出会いへのプラスの感情だった。
傷心はまだ癒えてない。そう簡単には癒えやしない。
しばらくは傷口が疼くだろう。
タカハシアズミさんに彼女を重ねてしまうかもしれない。
…それだけ俺は彼女が好きだったんだから。
けれどそれも時がたてば痛みは薄れるだろうし、
タカハシさんという一人の人間も俺の中に独立して存在するようになるはずだ。
そう、もう少しすれば何もかも平気になる。
それまでこの新たな友人と過ごすのもいいかもしれない。
明日会ったら今度は俺がタイヤキをおごろう、とそんなことを帰り道で思った。
了
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