翌朝。
 冷たい川の水で顔を洗うと、二人に温かな麦飯の朝食が用意された。

「このようなもので恐縮ですが」

 青蛇がかしこまって膳を運ぼうとする。

「いや、青蛇殿…どうぞお気遣いなく。朝飯までご馳走になって申し訳ないのだから」
「我々がそちらに参りましょう」

 そう言って、晴明が童たちがひしめきあう、にぎやかな部屋へ向かう。
 そこには、まだ髪も結えないほどの稚児や童子が元気に食事をしていた。
 突然入ってきた貴族に、皆びっくりして一斉にこちらを見遣る。

「そんな晴明殿…どうぞ、こちらにご用意いたしますから」

 慌ててその後姿を追った青蛇ではあったが、時すでに遅く、子供達は晴明を囲むように群がっていた。

「むむ…」

 続いて入った博雅も、同じような目にあって、身動きがとれない。

「……困りましたなぁ」

 あまり困っていない口調で、青蛇が苦笑いをした。内心は楽しくてしょうがない、という風情である。
 そのまま首だけを晴明に向けると、彼は何も言わずに、うっすらとした微笑を返しただけだった。

「やれやれ…。では皆、一緒に朝飯にいたしましょう」

 子供達の歓声に囲まれた、にぎやかな朝食となった。

******

「世話になりました」

 博雅が、実直そうに腰を曲げて礼をする。身分に捕らわれない博雅らしかった。

「何のお力にもなれませんで」
「いえいえ。お話をうかがって随分勉強させていただきましたよ。また伺ってもよろしいですか?」
「願ってもないことです。また博雅殿の笛を聞かせてください」
「はい」

 そうして青蛇は晴明を見て、にっこりと微笑んだ。

「その時は、ぜひ晴明様もご一緒に。子供達が喜びます」
「では、何か面白い話でも仕入れてきましょう」

 何を考えているのか分からない、相変わらずの微笑のまま、晴明がこたえる。

「では、失礼します」
「またいずれ」

 そうして二人は山を降りていった。

「おい、晴明」
「なんだ」

 帰りの道中、博雅はふと思い出したように話し掛けた。

「お前が子供好きとは知らなかったぞ」
「ふふん」

 さもおかしそうに晴明は笑って答える。その含んだような微笑は肯定とも否定ともつかない。

「ああいう生き方もあるのだなぁ…」

 博雅は、すっかり日が昇った空を見上げながら、しみじみと呟く。
 今までの貴族暮らしからは想像できない暮らしだったようだ。

「山奥で、人の役に立ち、子供達を養い、欲を持たずにひっそりと暮らす…奥ゆかしい方だなぁ、青蛇殿は」
「おい、博雅よ」
「なんだ、晴明よ」
「お前、目的を忘れたのではないだろうな」
「む?」

 晴明は、山に咲く八重桜を見遣りながら訊いた。
 他の桜はすでに散った後だが、八重桜は今が盛りと枝がしなるほどみっしりと花を咲かせ、甘やかな芳香を漂わせている。
 同じように桜に目をやり、博雅は真面目な口調で答えた。

「当たり前ではないか」
「そうか」
「鬼が分かったのか」
「さてな…分かったと言うよりは…見当がついたと言うところか」
「なに?」
「まあ、もう今月は出ないだろうよ。次に出るのは…28日後あたりか」
「どういうことだ、晴明よ」

 さっぱり分からない博雅が、たまりかねて晴明の顔を覗き込む。

「28日後には分かるさ。お前も来るだろう?」
「何か手伝うことがあるのか」
「そうなるかもしれん。今は分からないが…いてくれた方が助かる」
「わかった」

 無骨な顔をこくんとうなずかせて、博雅は返事をする。
 青葉の香と桜の香と山吹の香が混じり合い、鼻腔をくすぐるような心地良い香となって山に漂う。
 その空気を、胸が痛くなるほど吸い込んで、博雅は「よい天気だ」と伸びをした。

*********

 そして晴明が予告した通り、その後一月は鬼の被害はなく、平穏とした日が過ぎて行った。
 季節は少しずつではあるが、確実に移ろいて、桜は散り、つつじも盛りを終えようとしていた。

「来たか」
「来たぞ。お前が呼んだんだからな、晴明」
「そうだったな。まぁ、上がれよ」
「うむ」

 濡れ縁に円座を敷いて、その上にどっかりと博雅が座る。
 晴明は、いつものように片膝を立てて、ゆったりと柱に身体を預けていた。

「あの蛇の鬼のことだろう?」
「ああ。恐らくは今日か明日あたりだろうからな」
「なぜ分かる?」
「そう急くなよ、博雅。説明は道中おいおいするから」
「そうもったいぶらずに教えてくれてもいいではないか」

 博雅が拗ねたような口調で問い詰める。
 だが晴明は簡単には答えてくれない。
 うっすらと含んだ笑みを、その赤い唇に宿したままである。

「そうはいかぬよ」
「なぜだ」

 博雅がそう言ったとき、屋敷の奥から音もなく、一人の女が瓶子と盃を運んできた。
 唐織の十二単をふうわりと着た、美しい女だった。

「予定の時刻までは、まだ時間があるからさ。それまで酒でも飲もう」
「酒よりも、教えてくれよ、晴明」
「飲まんのか」
「そ、そうは言ってない」
「では、飲め」
「う、うん…」

 いつの間にやら盃を持たされ、その盃に唐綾の女が酌をする。
 湿り気を帯びた風が、そよそよと吹く。
 庭を見遣ると、そこには夏草が茂り、そこかしこからは目には見えぬ初夏の香りが漂ってくる。
 夕暮れ時であった。

「少し遠出になるからな。時も遅い。それまでに食事を済ませておいた方が良かろうよ」

 そう言って、晴明は博雅に今からやることを説明し始めた。

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