五条橋にて

「貴公は…武士ですね……」

夜風が、2人の間を通り抜けた。ほの暗い闇に浮かぶのは、どちらも長身だ。
1人は小ぎれいな身なりで白い肌。手には横笛が握られている。
もう1人の声をかけた男は、黒い衣をまとい、橋の中央に立っている。

彼の手には笛ではなく、長刀。

「だとしたら、どうなる? お前は僧か? …その割にゃ物騒ないでたちだな」

男が、興味ありげに笑った。
かぶった白布から覗く顔は夜目でもわかるほど整っている。

「私は…武蔵坊弁慶。ここで刀千本狩りをしている者です。
そして今宵、貴公で千本目。貴公と手合わせ願いたいのです」

良く通る張りのある声が、闇に響く。
弁慶と名乗った青年は無骨そうな容姿とはかけ離れた丁寧な言葉遣いである。

「今宵までで九百九十九本かぁ…。すごいな、お前。強いんだな」

純粋な興味を両の瞳に宿して、彼は白布を思い切り投げ捨てた。

「刀を集めてどうする? 願掛けか!?」

「さて、どうでしょう。貴公は私と戦ってくれますか? それとも刀を私に渡してさっさと逃げ帰りますか?」

相手の問いかけを軽く受け流し、弁慶は人をくったように、いじわるく笑った。

「……いや、せっかく遭えたのだ。手合わせ願おう。俺の名は源九朗義経。左馬頭義朝の子だ」

義経と名乗った青年は、弁慶の頭一つ分ほど背が低かった。
これは義経が低いのではなく、弁慶が飛びぬけて背が高いのだ。

義経が橋板をひらりひらりと飛び越えて弁慶へと近づく。
その動きは、体重など感じさせぬほど速くて軽やかだ。
弁慶が長刀をぶんっと振り回した。
義経は見越したようにそれを一寸先でよけると、間合いをおかずに笛を振る。
しかし弁慶も俊敏にもう一度長刀を振って、寄せ付けない。

(速いな)

義経は、目の前で振られる棒さばきを見ながら冷静に観察していた。
弁慶という男、さすがに九百九十九人倒しただけあって、動きが並みの武士よりもずっと速い。

(これをほうっておくのも、もったいない)

そんな考えが、義経の頭に浮かんだ。

一方、当の弁慶は、ひらりひらりかわされて、少なからず驚いていた。
少年にも見えるこの青年は、驚くほど正確に、こちらの急所を狙ってくる。

今までで一番の強敵だった。

「なあ、お前」

めまぐるしい攻防を一瞬止めて、義経が口を開いた。

「お前が勝ったら俺の刀をくれてやるが、俺が勝ったら何をくれる?」

少しの沈黙のあと、彼は答えた。

「私の命を」

「――――上等だな。承知した」

それだけ言うと、義経はまっすぐに走ってきた。
そして跳ね上がると、弁慶の直前まで近寄り、おもむろに左手を開き、5本の指を目潰しのように動かした。

弁慶は思わず顔をそむけたため、反応が遅れる。
義経はその一瞬を見逃さなかった。するりと間合いに入り込み、笛を振り下ろす。
そして――――
ぴたりと、弁慶の眉間の位置でそれは止まった。
触れるか触れないかの距離である。

「勝負あったな」

弁慶の目の前で、息を飲むほどの美青年が嬉しそうに、ニヤリと笑った。
敗北した弁慶は、目を見開いたままじっと義経を見ている。
この義経という男、近くで見れば見るほど、よくよくの美青年であった。
白く透き通った肌といい、きりりと細く弧を描いた眉といい、凛々しく、くっきりとした顔立ちで文句の言いようもなかった。

「参り…ました……」

ようやく構えていた姿勢を正し、武器を体の横に持って弁慶は頭を下げた。
その声は微妙に苦々しい。

「どうぞ、約束どおり私をお斬り捨てください」

顔を上げずに弁慶は続けた。その口調には、未練のかけらも感じられない。

もともと彼は刀千本狩りを達成したら死ぬつもりであった。
先の見えた人生に、どうしようもない虚無感を感じていたからだ。
―――――刀を千本集めること。
これが簡単に達成できてしまうくらい、世の中がつまらないなら、死んでしまおうと思った。

(……未練など、ないのですよ)

死ぬ理由が一つ増えただけだ。

「やだね。殺してなんかやらない」

頭上から、妙に幼い声が降ってきた。弁慶がようやく頭を上げる。

「俺と来い、弁慶。約束どおり、俺に命を預けて」

目が合った彼は、白い頬をかすかに上気させ、両目を生き生きと輝かせていた。

「お前を退屈させない面白いことがたくさん起こる。いや、起こすんだ、俺が。
…源家の再興をしようと思っている」

熱っぽく語る義経を見て、弁慶は自分の胸のずっと奥が震えるのを感じた。

「今をときめく平家と剣を交えようとおっしゃるのですか……?」

(こんなにも、胸が疼くのはなぜだ…?)

目の前で不敵に笑う青年のせいなのか。

「そうだよ、弁慶。お前の命は俺がもらったんだ」

はむかう事など許さない、強い光を放つ両の瞳。それは透明で、自信にあふれていた。

「お言葉に、従います」

苦しみに喘いで、ようやく弁慶はそれだけ言った。

(私は…出会えたのですね。たった一人の――――)

唯一無二の人。自分の一生をかけられる運命の相手に。
今宵、千本目の相手。
一目見て、惹かれた。身体全体で感じた。
この人だ、と―――――――

 

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