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翌日。天上界の神殿は異様な雰囲気に包まれた。
ミカエルの言ったとおり、昨日の事件に対して騒ぎ出した輩が現れたのだ。
それは、ミカエルを恋い慕う美の女神ヴィーナスだった。

「大罪ですわ! このような不祥事を起こし、ミカエル様の御力を使わせるとは。あの地へ行ったことでどれほど御力を消耗なさったことか…っ。
あなたも存じていたはず。あの地は清らかであればあるほどに生気が吸われていくのです。
…さらにこともあろうに、その娘を回復させるために、またその御力を使わせたとのこと。この罪、裁かねばなりませんっ!」

「ヴィーナスよ、そういきり立つな。全ては私が判断し、行ったことだ」

壇上で自分の横に立ち、憤る彼女を抑えようとミカエルはするのだが、彼女は耳を貸そうとしない。

「全ての原因はあの者たちにあるのです。その結果が貴方様のご判断であろうとも、原因を作ったあのものを戒めなければなりません」

毅然とその美しい瞳に怒りをやどしながら、彼女はミカエルの言葉を跳ね除けた。
その憤りが個人的な感情であろうとも、理を後ろに持った彼女は止めることが出来ない。

「貴女がおっしゃる通りに俺は罰を受けましょう。逆らうつもりはありません。ただ、ルラは、彼女は何も罪を犯してはいない。
俺の犯した過ちに巻き込まれただけです。彼女は被害者なんです。だから…彼女を裁きにかけないで下さい」

真っ直ぐにヴィーナスを見つめ、ラギーは懇願した。

(どんな形であれ、ルラを救えるなら…)

どんな罰であっても彼は受ける覚悟でいた。
せめて少しでも償えるのなら。

その強い視線を受けるに耐えかねて、ヴィーナスはついと顔をそむけた。

(あの天使が裁かれなければならないのよ)

面白くなさそうに彼女は視線をルラに移した。
優しさがにじみ出ているその容姿。
瞳も唇も、すべては美しいだけでなく、清浄で慈愛に満ちている。
誰からも愛される存在。
――――ミカエルからも……。

自分はこんなにもあの方を恋い慕い、捧げ尽くしているというのに、あの方は振り向いてはくれなかった。
部下の天使だけを見つめていた。
さらにも増して許しがたいのは、その娘はあの方の気持ちに気づいていなかったことだ。
あの方の一番近くにいながら、その思いに気づかずに笑っているのだ。
あまりにもあの方が不憫ではないか。
それでもなお、あの方は想いつづけているのに、この天使はどこかの馬の骨と遊んでいる。
そしてこの不祥事だ。

ふっとヴィーナスは隣のミカエルを見た。
心配そうな視線を、下にいる天使に注いでいる。
それを見た瞬間、ヴィーナスの心の中で何かが爆発した。

全てはこの天使が悪いのだ。
あの方の実らぬ恋も。
自分の届かぬ想いも。

不条理な怒りが彼女の四肢を駆け巡った。

「ルラよ」

神殿にソプラノが響く。

「私にはあなたにも咎があると思いますが」

名を呼ばれた彼女は、一段上にいるヴィーナスを見つめて返答した。

「おっしゃる通りです。ヴィーナス様。私はミカエル様に仕える天使でありながら、軽率な行動を取り、このような事態を招いてしまいました。
非は私にあるのです。彼は私を庇おうと嘘をついているのです」
「嘘じゃない!!」

ルラの隣でやりとりを聞いていたラギーが突然声を張り上げた。

「俺が誘ったのがいけなかったんだ!」
「ラギー」

叫ぶラギーにルラは穏やかに呼びかけた。

「それに応じた私がいけなかったのよ」

困ったような微笑をし、彼女はそう告げた。

「そんな…っ!」

返す言葉につまり、「でも…」とつなげようとしたとき、そのセリフは頭上からの声にかき消された。

「よく申しました。ついてはあなたを裁かねばなりません」
「どのような罰も」

勝ち誇ったヴィーナスの笑みに、ルラはにっこりと笑った。
その落ち着き払った小憎らしい態度に女神は苛立ったが、すぐに彼女はひらめいてほくそえんだ。

「では償いにあなたの両目を捧げなさい」
「ヴィーナス!!」
「その罪は俺がっ…!」

女神の冷酷な戒めに、双方の男は過敏に反応した。
言い渡された本人は表情を凍らせ、動かない。

「古来より天使の瞳は一個につき一つの奇跡を起こせるといいます。あなたのその目を、一つはミカエル様が今回削られた分の寿命を元に戻すことに
もう一つは、ミカエル様が降臨なさったことで広がってしまった歪みを修復することに使います。…ラギーよ、わかりましたか? あなたでは駄目なのです」

端正な唇の両端を吊り上げながら、厳かに女神は告げた。

「ヴィーナスよ」

青ざめた顔で、ミカエルはヴィーナスを見る。

「私は彼女の光を奪ってまで長生きしたいとは思わない。たかが2年だ。一千年の寿命のうちのたった2年で、そのようなことをする必要はない」

額にかかる亜麻色の前髪から瞳を覗かせ、静かに彼は否定した。

「ミカエル様、よくお考えになって下さいませ。貴方様を継ぐ方が現れるまで、この天上界は空白となるのですよ。
全てを司る神がいなければ、世界のバランスは崩れ、混沌と不安が大量の死を招くでしょう」

そこまで言って、彼女は一息入れた。冷たい光を双眸にやどし、言葉を続ける。

「貴方様のご感情だけで決められないのです。任された…これは業なのですから」

そのセリフだけで、大天使を黙らせるには充分だった。
役目を出されてしまっては、ミカエルは何も言えない。

「そしてあの歪みだけは、私たちの力は効が及ない。あれほどの穴が完全に閉じるまで、どれほどの時間がかかることでしょう。
それまでの間に、また今回のようなことを起こらないという保証はありません。次の犠牲者が出る前に、一刻も早く穴を埋めなければならないのです」

ヴィーナスの理由はもっともだった。
ただ、そこに良心というものがないように思えて、男二人は唇をかみ締めた。
何か他の方法はないのかとラギーが必死に考えているとき。

「わかりました。私のような者の瞳でもよろしいのなら、捧げましょう」

静寂を破り、ルラが静かにそう告げた。

「なっ…!! だめだっ! もっと他の方法があるはずだよっ!!」

信じられないものを見るような目で、彼女のを振り返り見ると、その細い両肩をつかんだ。
覗き込んだ彼女の瞳は涙をいっぱいに溜めている。

「ヴィーナス様がおっしゃった通り、これしかないのよ。私なら平気。あの時、ミカエル様が来て下さらなかったら私たちは死んでいたんだもの。感謝して捧げるわ。
私の眼で幾千もの命が助かるのよ。捧げなければ私、きっと一生後悔する。わかってるの」

弱々しく微笑すると、ルラは両目から一粒ずつ涙を落とし、細い手で拭った。

「一筋の光が導くままに我は進む  暁の惑星の記憶を巡り  さざめく波に溶け  奇跡を起こさんとすその両の瞳に祈りを捧げ
今 光の門を閉じ  旋律に身を透かす」

彼女の口から発せられる言葉が恐ろしい響きを持って聞こえて、ラギーは身をかがめ、ルラと視線を同じにして彼女を見た。
伏せられた瞳の、まぶたの裏から光がもれている。
ルラは両目を覆った。

「ルラッ! やめろ!!」

抱きしめることも出来ずに、ただラギーは叫んだ。
指の隙間からこぼれていた光がやがて弱まり、彼女は手を放した。

「あ…」

彼女の瞼は降りたまま開かない。
両手には琥珀色の宝石が一つずつおさまっていた。
一瞬前まで彼女の瞳だったものだ。

「ルラ…」

悲痛な乾いた声が、振り絞られるようにラギーから発せられた。

「我は願わん  大天使ミカエル様の失われた御力を満たすことを  時空の狭間を越え次元の歪みをふさぐことを」

掌をかかげ、彼女が言ったとたん、その宝石は輝いて弾けた。
泡のように消えて、あとには何も残らなかった。

(…使われたからだ…)

呆然とミカエルはその一部始終を見て思った。
ただ目の前の、芝居のような出来事に心奪われていた。

すらりとした両手を彼女がおろすと、ラギーがもう一度彼女の名を呼んだ。
狂いそうなほど愛おしく、泣き出しそうなほど切ない名前を。

「ルラ…」

名を呼ばれた彼女は大人びた笑みを浮かべながら、おそるおそる掌を青年の顔へ伸ばした。
彼はその手を取り、頬に当てる。

「情けない声出さないで。貴方の表情、手にといるように分かっちゃうんだから」

ふっと苦笑して手を戻した。

「ヴィーナス様」
「確かに」

ヴィーナスは短く、彼女の償いを認めた。
今はもう憎しみの気持ちは消えうせ、畏怖だけがヴィーナスの心を占めていた。
やっとことの重大さを悟ったのだ。
今となっては取り返しがつかず、女神はただ、これからの彼女の復讐を恐れた。

「もうこれで償いは済んだでしょう。あなた方を解放します」

震える唇をやっと動かし、女神は言いざまに姿を消した。
のしかかる恐怖と罪悪感に堪えかねたのだ。

「そんな!!」

叫んだのはラギーだった。
残像にも届かず、彼の声が神殿に響く。

「俺はまだ罰せられていない」

どうしようもなく彼はうなだれ、顔を覆った。
語尾が掠れ、肩が震える。

「ルラよ」

残されたミカエルは穏やかにその名を呼び、彼女に歩み寄った。

「ありがとう。おまえをいつまでも私の傍においておきたいが、坊やがすごい眼でこちらを睨むのでな。できそうにない」

軽く苦笑し、いつもの変わらない口調でルラの髪をなでた。

「今までありがとうございました」
「世話になったな、私も。お前を手放すのが口惜しいよ」

指に栗色の髪を絡ませ、静かにその髪の一房に口づけた。

「幸運を祈る」

さらに彼女の白頬に口づけをして、彼の大きな翼を広げようとしたとき
ラギーが彼の前に立った。

「俺がまだ残ってる」

低い声音で青年は言った。

「もう充分だ」

ため息まじりにミカエルは答えた。
どこか苦しげな瞳で。

「駄目だ! あんたはずるいっ…!! ―――いつもそうやって俺を子ども扱いしてかわす…そんなのは卑怯だ!!あんたは恩ばかり売って…っ…」

小さな嗚咽を漏らして、ラギーは言葉をぶつけた。
自分だけ罰せられないなんて認めない。許されない。
いくつもの感情が重なって、もう彼には何がなんだか分からなかった。
ただとめどなく涙が頬をつたう。

「ルラが好きなら、かっさらって傍に置いとけば良かったんだっ!!!」
「――――何のことだ?」

激しく怒鳴るラギーを、ミカエルは一言であしらった。
氷のような表情は無感動で、何を考えているのか読めない。
ルラは黙っていた。動かずにじっと。

「それなら…」

静かにミカエルが口を開いた。
ラギーが顔を上げて彼を見る。

「万死を尽くしてルラを守れ。これがお前の償いだ」

ラギーの胸に拳を叩きつけ、立ちすくむ彼に背を向けて
ミカエルは神殿から飛び去った。

「…っのやろう…っ」

(言われなくたって…やってやるさ)

もう一度うつむいて涙を拭うと、ラギーは彼女へと歩み寄った。

「ルラ」

もう声は震えていない。
肩も指も何もかも。

「俺、ルラの手足となって君を助けるから、ルラも一生俺の傍にいてくれないかな」

過ちや償いといったもの全てを受け止めるから。
あなたは笑っていてくれればいい。

「私なんかでいいのなら」

今まで通りの微笑が返ってきた。
緩やかに。穏やかに。
胸を締めつける甘く苦しい嬉しさと切なさに駆られて
ラギーは力いっぱい彼女を抱きしめた。
涙はもう…出なかった。

 

 

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