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  「どしたの? ルヴァ?」
「えーとですね…あなたが顔をなくしたっていってたじゃないですか。それが気になって調べてみたんですけど…」

ルヴァが重そうな本をバサバサと開くたびに、ホコリとカビの混じった匂いがする。

「ちょっとルヴァ、その本すっっごく古いんでしょ? なぁんかヤな匂いしてるよ。…何の本なの、ソレ?」
「あーすいません。書庫から引っ張り出してそのまま持ってきてしまって…せめて布で拭いてくればよかったですねー…えーっと…あ、ありました。
この本はですね、先人が人間の深層心理に潜む数々の防衛機能を事例にそって研究しているその報告でして、そもそもは…」

あらら。また始まっちゃったよ。これが始まるとなかなか長いんだよね。

「ルヴァ、そこは飛ばしてくれていいから。何が書いてあるの?」
「あーはい。えーと…簡単に言うと、医者のカルテみたいに、実際にあった症状をまとめた本なんです」
「医者ぁ!? ちょっと待ってよ。それって私は病気だってこと? 私どこも悪くないよ」
「あー…病気と呼ぶには少し問題がありますねぇ」
「もっと詳しく分かるように言ってよ」
「そうですねぇ…分かりやすく言うと、心が風邪をひいたみたいなものなんです」
「はぁ?」

今日で何度目かの疑問符を私は口にした。
「心が風邪をひく」
―――――どういうこと?

「ええっと、この本によるとですね、人の心って体調みたいに調子が良い時と悪い時がありますよね」
「うん」
「体調が悪いのに無理をすると倒れてしましますよね」
「うん」
「それじゃオリヴィエ、どうして倒れてしまうんでしょう?」
「それは…だって休まなくちゃだめだからでしょ? 体が休めって言ってる証拠じゃないの?」

 そう言ったら、ルヴァが嬉しそうな顔をした。

「そうですね。私もそう思いますよ。一種の自己防衛本能…とでもいいましょうか、それが働くんですね」
「それで?」
「あなたの症状もこの『自己防衛本能』の一種だと私は思うんです」
「自分の顔に見えないってのが?」

「ええ。これは あくまでも推測ですが…最近自分を否定するようなことを思いませんでしたか…?」
「…例えば?」
「そうですねぇ…『自分らしくない』とか、『誰かに合わす顔がない』とかそういった、ちょっとしたことでいいんです」

私は内心ぎくりとした。顔にこそ出さなかったけど、その感情には覚えがある。

「それだけで自分の顔を失っちゃうの?」
「ええ。きっかけは些細ないことの方が多いんですよ」

たった一つだけど、自覚してることがある。

――――アンジェリークに対しての私は私らしくない。

彼女の表情一つ一つに一喜一憂して、誰といても彼女が頭から離れない。
ふとした瞬間に胸を締め付ける痛みに怯えている自分がいて。
ペースを狂わされっぱなしの自分が、滑稽なほどで。
だから、そんな自分は私らしくない、と思った。

「例えば『自分らしくない』って思ったらどうなっちゃうのかな?」

何気ない風を装って、訊いてみた。

「心の奥深くにある自己防衛本能が、『それならこれは自分ではない』というふうに情報を書き換えてしまうんじゃないでしょうか。
『自分でないなら自分らしくないのは当然だ』…事実を歪めることで自分の心を守るんだと思います」

「そういうのってよくあることなの?」
「珍しいことではないようです。ただ、その症状は人によって様々ですが…誰でも発症する可能性があるのは確かみたいですよ」
「だから『心が風邪をひく』ってことなんだ」
「ええ」

ルヴァの言い回しが、ちゃんと言葉を選んでくれていて嬉しかった。
病気とは言わないで「風邪」って言い直してるあたりが。
ほんとーっにみんな優しいんだから。
アンジェリークといい、ルヴァといい…これじゃ、いつまでも風邪ひいてらんないね。

「それで、もとに戻す方法なんですが…」

あらら?

「ルヴァ、それならもう治ったからいいんだ。ありがと。心配かけちゃったね」
「おや、そうだったんですか? それは何よりですねー …でも、どうやったんですか?」
「ん? それはねぇ…天使の実力行使のお・か・げ☆」
「…は?」

きっとアンジェリークは、ルヴァが教えてくれたような理屈は何も知らなかったんだろうね。
なのに、私を救ってくれた。
これってスゴイことじゃない?
私はまだ ぽかんとしてるルヴァにウインクした。

「ねぇルヴァ。お茶にしよーよ」
「…そうですね。そうしましょうか」
「そうそう」

今度の日の曜日のために、とびっきりの布地を集めておこう。
それから忘れずにルヴァが喜びそうな本もね。

私は湯気の立つ フレーバーティーを飲みながら、これからの予定を考えて楽しくなっていた。

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