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「…っく…。なかなか止まらんもんだな」

 恥ずかしそうにヴィクトールが後頭部を掻いた。
 そんな仕草も、アンジェリークには親しみやすさをおぼえる。

「ヴィクトール様。お水です」
「おお。すまない」

 ウェイトレスに冷たい水を頼んで、彼に渡す。

「お水を飲むとき、心の中で『たぬきがこけた』って3回唱えてくださいね」
「なんだそれは?」
「ひゃっくりを止めるおまじないです」

 大真面目に言う彼女に、ヴィクトールは大笑いをした。

「ははは。お前のところには、そんなまじないがあるのか。っく…。それを信じてるお前も可愛いもんだな」
「あら、結構効くんですよ?」

 全く信じてくれない彼の態度に、少し拗ねたような口調でアンジェリークは反論する。

「ほぅ。俺の育った地域では、コップに×印になるように棒をかけて一気に飲む…なんていうのが…っく あったな」
「そうなんですか?私、初めて聞きました」
「はは、出身星ごとに違うのかもしれんな」
「ふふっ」

 ヴィクトールはとにかくコップの水を飲み干した。

「どうですか?」
「…止まった…かな?…ぃっく。――――――ダメだ」
「そうですか…」
「なんだ、アンジェリーク。心配してくれてるのか? ひゃっくりごときにおおげさだな」

 ヴィクトールは苦笑する。
 きっと彼の出身惑星には、ひゃっくりが3日3晩続くと死ぬ。 という噂はないのだろう。
 もちろん、アンジェリークの出身惑星…主星だけでまことしやかに流れている流言であるのだが。

「そのうち止まるさ。少し動いた方がいいのかもしれんな。アンジェリーク、良ければ少し歩かないか?」
「はい。喜んで」

 アンジェリークの心配をよそに、ヴィクトールは女王像の前、東屋へと冗談を交えた会話を楽しんでいた。
 一方でアンジェリークは、まだ止まらない彼のひゃっくりが気になってしょうがない。
(たしか、驚かすのもいいのよね…?)
 実力行使を試すことにした。

「ヴィクトールさまっ!!」

 突然に大声で名を呼び、背中を叩いてみた。 
 が、彼の鍛えぬかれた背筋はタイヤのように硬いし、自分の大声もたいした声量でもなくて。

「なんだ。どうした?…もしかして…びっくりさせようとしたのか?」

 なんて言われてしまった。
 挙句に驚かなかったことに申し訳なさそうな顔をされてしまう。
 彼女は少し、落ち込んだ。

「お前のような っく 細い腕じゃ、俺を驚かすのは無理だろう。…気持ちは嬉しいんだがな」

 確かにヴィクトールの言うとおりで、力で彼を驚かすのは至難の業だ。
 それなら、何か話で驚かさなければならない。
 アンジェリークは、一つのことを一生懸命考えるゆえに周りが見えなくなっていた。
 もはや彼をヴィクトールを驚かせることしか頭にない。

(ヴィクトール様が驚かれるような話題って何かしら?…)

「あのですね、実はクラヴィス様ってお料理がご趣味で、この間 歌いながらニンジンを切ってるところを目撃しちゃったんです」
 ―――――確かに衝撃の事実だが、あまりに突拍子すぎて信憑性がない。

「オスカー様に聞いたんですけど、先日ジュリアス様が愛馬に噛まれたんですって。頭から がぶりと」
 ―――――ウマの口から流れる金髪…。ただの笑い話である。

「ルヴァ様のターバンの秘密ご存知ですか?あそこで稲を育ててるらしいですよ。ルヴァ様のおせんべいって全部お手製かもしれませんね」
 ―――――だから人前では見せられないのか。移動式水田よ。

(…私ったら尊敬すべき守護聖さまに何てことを…)
 年長組み形無しである。
 だが、ちょっぴり自己嫌悪に陥ったアンジェリークには気づかずに、ヴィクトールはとうとう約束の木の下に着いてしまった。
 もうすぐ庭園も一周してしまう。
 そうしたら、今日のデートも終り。
 ヴィクトールは名残惜しい気がして、木陰で立ち止まった。

「…気持ちがいい場所だな。歩き疲れただろう? っく。ここで少し休まないか」
「あ、はい」

 ヴィクトールの言葉に我に返り、アンジェリークは自分が約束の木まで来てしまった事に気がついた。
 せっかくの2人きりのデートがもう終わりに近づいてきている。
 女王試験は始まったばかりで、今度はいつ目の前の男性とこうした時間が持てるか分からないのに。
 もっと傍にいて、もっとお話をして、もっともっとこの方を知りたいのに。

「お前の息抜きのつもりだったんだがなぁ。なんだか…っ…俺の息抜きにお前を付きあわせているような気がするよ」
「そんなことありません。私もすごく楽しいです」

 偽りなく気持ちを述べる。
 本格的な宇宙の創造に、プレッシャーを感じていたのは事実だ。
 守護聖も協力者達も親切にしてくれるけれど、試験は「自分」を試しているのだ。
 学習が上手く進まず、そのために惑星が崩壊するのを見るたびに、自分の不甲斐なさに泣きそうになる。
 自分の選択が正しいのか不安になって、足が歩みを止めてしまう。
 だから、今日のような息抜きは、本当に楽しかったし、嬉しかった。

「まだ試験は始まったばかりで、これからも…っく…お前には苦しい試練が待っているかもしれん。だがな、俺は…いや俺達はいつだってお前を
支えてやれる。っく。だから辛くなったら、ちゃんと頼ってこいよ」

 不安に捕らわれそうになったときに、自分の背中を押してくれるのは、いつもこの教官の言葉であった。
 頼もしい笑顔と優しい言葉。

「さっきも言ったが、俺はお前が気になってしょうがないんだ。何と言うか…あ、いや、なんでもない。っく」

 心なしか顔を赤らめて、ヴィクトールは最後にひゃっくりをした。
(…そうだわ)
 そんな彼を見て、アンジェリークの脳裏に何かがひらめいた。

「ヴィクトール様。今日はとっても楽しかったです。私、ヴィクトール様のことが、もっともっと好きになりました」
「なっ…!」

 アンジェリークのびっくり作戦大成功である。
 案の定、ヴィクトールは絶句した。
 そして一気に赤面する。
 軍人経験の長い、滅多なことでは動じない訓練をされてきた彼が動揺しているのが良く分かった。

「…ひゃっくり、止まりました?」
「…あ、ああ…そう言えば……………止まってる・………」

 胸に手を当てて、じっとしてみるが、あの煩わしい痙攣はきれいさっぱり消えていた。

「おいおい…いくら俺を驚かすためと言ったって…おじさんをからかうのはこれっきりにしてくれよ」

 複雑な表情で、ヴィクトールが額の汗を拭った。
 よっぽど彼の心臓には悪いことだったらしい。

「…冗談、なんだろ?」

 困ったようにヴィクトールは確認をするが、アンジェリークはただ笑顔を返すだけである。
 彼はまた困惑した。
 どう、受け止めればいいのだ。

「…と、とにかく、お前がそう言ってくれるのなら、また来よう。それでいいか?」
「はい。楽しみにしてます」

 なんとか取り繕ったものの、ヴィクトールの心臓は、まだバクバク言っていた。
 アンジェリークの悪戯っぽい笑顔が余計に拍車をかける。
 若い娘相手に、何をやってるんだか…。心中一人ごちたが、嫌な気持ちはしなかった。
 むしろ…心が弾むような気さえする。
 ―――なぜだ?

「次にお前がひゃっくりになる時が楽しみだな」
「えっ…!?」

 耳元で囁かれた彼の言葉に、今度はアンジェリークが絶句する番だった。

 ―――――そんな 約束の木の下で交わされた、かわいい いたずらの約束。

END

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