いたずら

「…っ」
「ティムカ様?」

 アンジェリークが品性を学習している最中だった。
 品性の教官は、今日で何度目かになるか分からない不自然な動きをする。
 今までの説明を脈絡もなく区切って、浅い呼吸をするのだ。

「あの・・・お体の具合が良くないんじゃないんですか?」

 アンジェリークが気遣って言葉をかける。
 ティムカが、すみません、と小声で返した後、机に方腕をつっかえ棒のようについて うつむいた。
 もう片腕は自分のみぞおちにあてる。
 ぎりっ、とティムカが食いしばる音が聞こえた。

「ティムカ様っ!? 大丈夫ですか? すぐに誰か呼んできますから、横になって下さい」

 少年は、アンジェリークの言葉に従って、部屋にあるソファーに横になった。
 その間にアンジェリークは自分のハンカチを濡らしてきて、彼の額にそっと当てる。

「大丈夫ですか?」
「・・・すみません、アンジェリーク・・・今日の授業は・・・」

 浅い呼吸の切れ切れに、彼は弁解する。
 アンジェリークは、少し怒ったように、そんなのいいんです、と返した。

「今、人を呼んできますね。待っててください」

 普段のおっとりとした彼女とは打って変わって、適切な対応を必死でしている。
 ティムカにはそれが新鮮に映った。

「お願いします。すみません、アンジェリーク・・・」

 彼女は、すぐに部屋を飛び出した。
 かといって、誰に言えばいいのか分からない。

「そうだわ、ヴィクトール様なら・・・」

 同じ学芸館にいる精神の教官の顔がとっさにアンジェリークの頭に浮かんだ。
 距離も近いし、何より軍人の彼なら応急処置もきっと知っているに違いない。
 たとえ応急処置を知らずとも、自分よりはずっと的確な判断をしてくれる。
 アンジェリークはノックもそこそこにヴィクトールの執務室に駆け込んだ。

「ヴィクトール様っ!」
「おう。アンジェリーク、お前か。・・・どうした。何かあったのか?」

 いつもと様子が違うアンジェリークに気がつき、ヴィクトールは立ち上がった。

「ティムカ様が倒れて・・・お願いです、一緒に来て下さい」
「わかった。すぐに行こう」

 さっそうとアンジェリークの前を歩いて、ティムカの執務室のドアを開ける。
 アンジェリークは、彼の大きな背中を見ながら 先ほどよりもずっと不安が安らいでいくのを感じていた。
 こういうとき、やはり年長者であるヴィクトールの行動力・判断力を頼もしいと思う。

「どうした? どこか痛むのか?」

 空調の効いた部屋であるにも関わらず、ティムカはじっとりと汗ばんでいた。
 痛みによる―――――冷や汗だ。

「あ・・・ヴィクトールさん・・・すみません・・・さっきから胃が・・・でも、そんな大げさなものじゃ・・・」
「痛むのか」

 ヴィクトールが確認すると、ティムカがこくんとうなずいた。

「押すぞ。少しだけ我慢しろ」

 ヴィクトールはソファーの横に両膝をついた。
 ティムカの腹に添えられていた手をそっと外し、人差し指と中指を使ってティムカのみぞおちを触診する。
 みぞおちを中心として、その周りもゆるく押す。

「痛むか?」
「いいえ・・・」
「なら大丈夫だ」

 ヴィクトールが安心したようにそう言った。
 アンジェリークが、ほっと安堵の息を吐く。
 ヴィクトールは、そのままの姿勢でティムカの額をなでた。

「精神的なものだな。胃が荒れたんだろう。少し頑張りすぎてるんじゃないか?」

 ティムカが、かあっと頬を染めた。

「おいおい。誤解をするなよ。お前を子ども扱いしたわけじゃない。誰にだって初めての環境と言うものは慣れないもんだ。それなのにお前は
いつも一生懸命にやってたから余計に負担が掛かったんだよ。分かるか?」
「・・・はい」
「そこで『自分が未熟だから』、とか考えるなよ。余計に胃を痛める」
「はい・・・」
「お前にとって今一番必要なのは休息だ。緊張を解いて心身ともにリラックスしないことには、この痛みは治らんぞ。今日はもう休むことだな」
「・・・はい。分かりました」

 素直に返事をするティムカの頭をもう一度撫でてやり、ヴィクトールは立ち上がった。
 少年の瞳が潤んでいたのには気づかない振りをする。

「アンジェリーク」
「はい」
「俺たちがここにいるとティムカが休めないだろうからな、今日はこれで失礼しよう」
「はい。・・・あのティムカ様、ゆっくり休んでくださいね」

 心配そうなアンジェリークに、ティムカはそっと笑った。

「今日はすみませんでした・・・お二人にご心配をおかけしてしまって・・・」
「大したことじゃない。だから気にしなくていいぞ。もっとも、そう頻繁に倒れられちゃ今度はアンジェリークが胃を痛めそうだがな」

 そういってヴィクトールは ハハハッと笑った。
 アンジェリークがその言葉に赤くなる。

「そんな…。…ティムカ様、元気になったらまた教えて下さいね。私、復習しておきます」
「そうですね…あはっ…これじゃ早く元気にならないといけないですよね」
「そうだな。じゃあ、ちゃんと休むんだぞ」
「はい」

 そうして2人はティムカの執務室を出た。

「あいつも最近ずっと緊張しっぱなしだったからな。ストレスってやつだろう」
「そうなんですか・・・」

 ティムカの不調を見抜けなかったアンジェリークは、落ち込んだ気分でヴィクトールの説明を聞く。
 もっと早くから気づけばよかった。

「お前は大丈夫なのか?」
「はい。皆さん良くして下さいますし…レイチェルとも最近は仲良くなってきたし・・・」
「そうか? ならばいいが。…そうだ、これから少し息抜きに出かけないか? お前も色々と大変だろう?」

 それは突然の誘いだった。
 もちろん、学習が中断してしまったアンジェリークの時間は空いている。
 アンジェリークは喜んで返事をした。

「はい。ご一緒させてください」
「そうか。…なんだ、その…そんな顔をされると こっちまで嬉しくなるな」

 こうして、2人の息抜きが始まった。

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