見えない言葉



元宮あかねは、目の前で素振りを続ける男を眺めた。
一呼吸の間もおかずに、空間が切り取られて、ばらばらと落ちていくのが見えるような気がする。上段から下段へ。絶え間なく繰り返されるその動作。その姿は、気迫に満ちていて、自分が目の前にいることすら、気付いていないように思えた。
「…頼久さん……」
目の前の男に、わざと気付かないくらいの声で言ってみる。
頬杖をつきながら、あかねはただただ源頼久の姿を見つめた。
自分の見を守ってくれる存在であり、龍神の神子としての自分に仕える八葉であり、そして、かけがえのない人。
いつしか、京を救いたいという気持ちのほかに、もっと強いものがあかねの心に産まれていたのだけれど、それは誰にも伝えることはなかった。
言えば、今まで自分を信じてくれてきた、八葉の仲間や、藤姫を裏切ることになるから。自分の我儘のせいで、今までの関係に亀裂をいれたくはなかった。
京を救うという目的が一番で、自分の中のどんな気持ちも、その後ににしかならない。
どれが本当で、どれが嘘ということではなく、言いたい気持ちと、言ってはいけない気持ちがあることを、あかねは自分の中だけで自覚していた。
「まあ、言ってどうなるものでもないし…」
実は、私も。
という期待した返事が帰ってくるとは限らない。ひょっとしたら他に思う人がいるのかもしれない。
「藤姫みたいにかわいくて、髪も長くて、深窓の姫君だったら良かったかなー」
元宮あかねは、現代人であり、髪も短い。京の時代の風習にも馴染みがない。
自分の赤い髪を見ながら、あかねは小さく溜息をついた。

目の前の頼久は、依然として鍛錬を止めない。
「見てていいですか?」
という質問を以前はしていたのだが、相手は「ご随意に」という返事しか返してこないので、いつしかあかねはそう訊ねるのをやめた。
質問して、鍛錬の邪魔をするのも嫌だったからだ。

「はー」
そしてあかねは、何度目かの溜息をついた。こうして、自分がどうしたいのかもよくわからない。告白したいのか、そうでないのか。
ただ、こうして相手を見つめていれば、それだけで幸せ。という気持ちにもならない。
でも、今自分にできるのは、こうして黙って、頼久を見つめるだけ。そばにいるだけ。
相手が、それを望んでいないかもしれないのに。

そして、あかねがもう一度溜息をつこうとしたそのとき。

「神子殿」
「はいっ!?」
意中の相手、源頼久の声が身近に聞こえた。
先ほどまで、中庭で鍛錬を行っていたはずの彼が、今は目の前にいる。中庭に面した廊下で、頬杖をついていたあかねの、文字通り眼前に、その整った顔が急に現れた。
「ど、ど、どうしたんですか。なんですか? 頼久さんっ」
完璧に裏返った声で、あかねは頼久に返す。まさか、自分が鍛錬を見ていることに、彼が気がついているとは思わなかった。
「いえ…」
元々無口な頼久も、あかねの狼狽振りに困惑したのか、一寸身を引く。少し汗ばんだ顔が、あまりに近くにあったので、あかねは平常心ではいられなかった。
本当に、手を伸ばせばすぐに、何か話したいことがある、伝えたいことがある相手がいるのだ。
「頼久さん、あの…」
だが、それは遮られた。
「神子殿。なにか私におっしゃりたいことがあるのではないですか?」

源頼久、自身の声で。

「な、な、なんでですかっ」
頼久は、刀を鞘に収めると、身じろぎできないあかねに、また近付いた。
「先ほど、私の名前を呼ばれましたが、その後のお言葉がないので…」

誰に対しても、同じ返事。同じ態度。常に神経を尖らせて、誰と話すのも自分から率先して行ったりしない。常に身構え、相手に対して心許さない。
武道の鍛錬一つとっても、どれだけ集中していても、相手に気を許したりしない。
誰も、自分の世界には近づけさせない。無意識のうちに、他人を拒絶している。
殺気には酷く敏感だけれど、好意には全く気付かない。
相手が、どんなに熱のこもった目で貴方を見ていても。
どれだけ、貴方のことを思っていたとしても。
彼は、気付かない人のはずだった。

「…頼久さん。私の声、聞こえてたんですか…?」
そう言うのがやっとだった。
あかねの問いに、頼久は答える。

「はい。貴方ですから」

「龍神の神子」だから。自分の主だから。そう言うはずだった男の口から告げられた言葉は、まったく予期しないもの。
期待を裏切るその答え。それは、彼自身の態度も証明していた。

「あ、あの。私…だから?」
真赤になるあかね。そして、
「い、いえ。あの私は常に神子殿のおそばにいるのが役目なので。その、声になれてしまったと言いますか。神子殿が何処にいても、お姿が見えなくても、その、わかりたいと。わかるようになってしまった…のです」
自分の口から出た、無意識の言葉に、今始めて気がついた源頼久。あかねが問いただすよりも先に、その顔を赤くし、うつむいてしまう。
その姿は、先ほどまで空間を切り裂いていた男と、同じ人物だとは思えなかった。
長躯の男が、顔を背け、真赤になり、かしこまって話すその姿が、なんだかとても可笑しくて、あかねは思わず笑っていた。
「頼久さん、ありがと」
「いえ、礼を言われるほどの事ではありません。私にとっては、当たり前のことですから」
「…あたりまえのこと…?」
「いえ、ですからっ。私の使命としてですね…っ」
「頼久さん。私も同じこと思ってました。頼久のこと、わかりたいって」

あかねは、頼久にそう言い、そしてその瞳を見つめる。
混じりのない思いが、そこから見えている。
「だから、私のこれから言いたいこと、わかってくれますか?」

貴方が、とても好きだと。
それを今言いたいのだと。
言葉にしなくても、伝わるなにかがあるとしても、言わなければ伝わらないことも、この世にはあって。それは、とても小さいものかもしれないけれど、それでも貴方に言いたかった。

「神子殿が、私に…?」
「うん。頼久さんに」

そしてあかねはまた笑う。あれだけの台詞を言ったにも関わらず、ちっともこちらの気持ちに気付いていない、鈍感な男を見て。
微笑むあかねの姿を見て、頼久も、控えめに笑った。誰にも見せることのない、気を許した顔で。

いろいろあるけど。きっとこれから先も、いろんなことがあるけど。
今、私がここで貴方に言いたいことがあるから。だから、言おうと思う。
私の気持ちを、全然わかってくれない、この目の前の人に。

「私、頼久さんのことが――――」

降り注ぐのは、初夏の日差し。
そこにあるのは、色とりどりの花々と、伸びゆく新緑。
そして、今も、昔も変わらぬ思いを告げるために、ひとりの少女が笑い、ひとりの青年がその顔を見つめた。



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