雨の日のすごし方

   聖地にしては珍しい雨だった。それも強い雨。
 悪くないね、こういうのも。
 女王陛下のお力で守られてるという聖地は、たいてい晴れている。
 そんな穏やかな毎日にいい加減飽きてきた僕には、丁度いい刺激だった。

 僕は不変のものなんて信じない。第一好きじゃない。
 こうして女王試験の教官なんて仕事を引き受けたのも、つまらない日常にちょっとした変化をもたらすためだった。
 僕は、面白いものが好きなんだ。

 気分転換に、この雨の中僕は外に出た。
 雨脚はどんどん強くなり、大地に叩きつけるように勢い良く降り続ける。
 こんな日に外出するから「変わり者」呼ばわりされるんだろうけど、そんなのは僕の勝手で、理解してもらおうなんて思ってもいない。
 今日は少し臍を曲げた空に付き合おうと思っただけさ。
 こんなに激情的な空に、付き合わない方が失礼だよ。
 せっかくの雨なんだから。

■■■■■

「…呆れたね」

 そのまま歩きつづけた僕は、公園でこんなものに遭うとは思わなかった。

「セイラン様?」
「…君はよっぽど暇なのかな。それとも女王試験は諦めたの? こんな日に、こんなところにいるなんて」

 屋根のあるベンチには、なぜか女王候補の一人 アンジェリークが、アフタヌーンティーを楽しんでいた。
 僕が言うのもなんだけど、随分と「変わってる」。

「セイラン様こそ、どうしたんですか?」

 雨に濡れたのか、前髪を額に張り付かせて、彼女は僕に訊いた。
 鳶色の瞳には、多くの驚きと少しの喜びが入り混じってる。
 いい目だ、と僕は思った。

「…別に。聖地での雨なんて珍しいから歩いてるだけさ。そういう君こそ、何してるんだい?」
「アフタヌーンティーです」
「…見れば分かるよ。君は僕をからかってるのかな。そうだとしたら、もう少し気の利いたことを言って欲しいんだけど」
「あ…。すみません。ええっと、セイラン様と同じです」

 あまり悪びれずに彼女は謝って、そう言った。
 …僕と同じだって?

「ふうん? 君もこの雨に誘われて、こうして のこのこ公園まで来たっていうわけ?」
「はい。こんなに強い雨、聖地では珍しいから楽しもうと思って」
「この雨を楽しむ…か。君はなかなか面白い趣味があるんだね」

 僕らの他には、誰一人いない。こんなに どしゃ降りじゃ、そもそも外に出ようって気にはならないだろう。
 みんなきっと今ごろは、肌寒い部屋に暖炉をともし、明るく暖かい部屋で読書でもしてるに違いない。
 湯気の昇る、熱いミルクティーでも飲みながら。

「でも、セイラン様だってこうして来てるじゃないですか」

 少し拗ねたように、アンジェリークは反論してる。
 打ち付ける雨の音の中、彼女の声は軽やかに跳ねて僕の耳に届く。
 無機物に囲まれた唯一の有機物であるアンジェリークはとても異質で、僕の気を惹かずにはいられなかった。 

「来ちゃいけなかったかな」
「誰もそんなこと言ってません。もう…。良ければ、飲んでいかれませんか? リュミエールさまから頂いたハーブティーなんで、カフェインは
入ってませんよ」
「そうだね。少し身体も冷えてしまったし、もらおうかな」
「はい!」

 ほんの気まぐれのつもりだったのに、彼女は嬉しそうに返事をした。
 こぽこぽと、まだ暖かいハーブティーを僕のカップに注いでくれる。
 温度差で、湯気が昇るのが見て取れた。

「このクッキーは私が焼いたんです。こっちも食べてくださいね」
「はいはい。わかったよ」

 上機嫌でクッキーを勧めた後、アンジェリークは自分のお茶も注ぎ足して、飲んだ。 
 無言になった僕らには、ただ雨音だけが聞こえる。
 乱暴とも思えるほどの激しいリズム。草が雨粒を弾くその音さえ、聞こえてくる。

「珍しいよ、まったく…」
「そうですね。聖地はいつも晴れてるから…。何だかこういうのってドキドキしちゃいます」

 彼女のことを言ったつもりだったけれど、アンジェリークはこの天気のことだと勘違いしたみたいだった。
 僕は頷くでもなく、外を見遣ってた視線を彼女に向ける。
 いつも空気を含んでふんわりしてる彼女の栗色の髪が、今日は露を含んでしっとりとしていた。
 それだけなのに、イメージが変わった気がする。

「何かの本で読んだんですけど、気候が穏やかな地域の人って のんびりした性格の人が多いんですって。そして気候が激しく変化する人は
やっぱり性格もはっきりしてるそうです。私の出身地は主星でも割と四季がはっきりしてたから、この性格はきっと天気のせいですね」

 性格が気候のせいなんて、ナンセンスな話だ。
 そう思ったけど、口には出さなかった。だって、アンジェリークが心からそう言ってるとは到底見えなかったから。

「それで、君は故郷のことを思い出し、懐かしくなってこうして外に出てきたってことかな? そうだとしても酔狂だね。こんなお茶の用意までして
何時間粘るつもりだったの? もしかしたら天気がもっと荒れて雷までなるかもしれないのに」

 僕だって、この聖地を巡ったら部屋に戻るつもりでいた。
 なのに、アンジェリークときたら、お茶の用意までして長期戦の構えだ。僕が来なかったら、ずっと一人だったろうに。

「……本当は、雷を待っているんです」
「え?」

 雨音にかき消されそうな小さな声で、アンジェリークは言った。
 少し顔が赤い。……恥ずかしがってるの?

「…おかしいですか? 小さい頃、よく母とおやつを持って、窓際に座って、一緒に毛布にくるまって…そうしてずっと雷を見てました。空が光るたびに
私は喜んで…。……変、ですよね。雷を喜ぶ女の子って…普通だったら怖がるのに…」

 そう言って、彼女はうつむいてしまった。
 かわいいアンジェリーク。
 君は僕に「変な子だ」と思われるのを恐れているの?

「それで? 今日もその雷鑑賞のためにここで粘ろうっていうのかい?」
「はい…」
「外じゃ冷えるよ」
「平気です。ちゃんとタオルケットを持ってきましたから」
「ふうん…それじゃ僕も雷を待とうかな」
「えっ!?」

 脳震盪を起こすような勢いで、アンジェリークは顔を上げた。
 今日初めて会ったときと同じ瞳。こぼれそうなほど大きな目に浮かぶのは、驚きと――――喜び。 
 僕はきっと、この目が好きなんだろう。そうじゃなけりゃ、こんなこと、言うはずがない。

「僕と一緒じゃ嫌かい?」
「そんな! 嬉しいですっ!!」

 反射的にそう言って、すぐに「しまった」という顔で彼女は口を押さえた。
 でも、もう遅いよ。僕はちゃんと聞いてしまった。

「なら問題ないよね。僕も君の言う雷に興味が沸いたんだ。自然の作るものは神秘的で美しい。…君にもその美しさが分かるんだね」

 センスあるよ。
 そう言ったら、アンジェリークは湯気が出そうなほど真っ赤になって、「ありがとうございます…」と言った。
 …いつもより素直なのは雨のせいなのかな…?

■■■■■

 お茶も飲みきって、身体も冷えてしまったので、僕らはアンジェリークの持ってきたタオルケットにくるまった。
 もちろん彼女は一枚しか持ってきていないから、僕達は肩をくっつけあっている。
 僕の隣では、アンジェリークが真っ赤な顔をして発熱してくれてるので全然寒くない。
 でも、彼女の濡れた髪からシャンプーの香りがして、なんだかおかしな気分になりそうだった。

 そうして何時間もじっとしてるうちに、僕は意識が雨に溶けていくのを感じた。
 すぐ傍の彼女の呼吸音と、雨音が混じりあう。
 そのまま穏やかなメロディーに変わり、まるで子守唄のようだ…と思ったときには、僕は眠ってしまった。

「…ランさま…セイラン様…」
「アンジェ…?」

 浮遊した意識を呼び戻したのは、彼女の控えた声だった。
 どのくらい寝てたんだろう。…あたりはすっかり暗くなっている。

「…雨、やんじゃいました」

 寝起きの僕を気遣ってか、それとも至近距離がまだ恥ずかしいのか、アンジェリークの声は小さい。

「ああ、そう…」
「このままじゃ、風邪引いちゃいます。もう、帰りましょう?」
「…そうだね。結局雷は鳴らなかったみたいだし」

 雷鳴が鳴れば、さすがに僕だって起きる。
 僕が寝つづけたってことは、雷は鳴らなかったってことだ。
 アンジェリークは僕の言葉を聞きながら、2人をつつんでたタオルケットをたたんだ。
 手際よく、荷物をまとめる。

「…残念でしたね」
「仕方がないさ。今日の大雨だって、空の気まぐれなんだから。雷だって気まぐれにしか鳴ってくれないよ」
「そうですね」

 彼女がゆるやかに微笑して、僕は夜空を仰いだ。
 分厚い雨雲は過ぎ去り、月の女神が雨粒のかわりに光の粒子を降り注いでいる。

「アンジェリーク。せっかくだから、夜の公園を一周しない?」
「はい。喜んで!」

 夜の静けさに浮かび上がった公園は、露が月光に反射して、まるで夢の世界のようだった。
 草葉についた露の玉が乱反射している。

「わぁ…っ! きれい!」

 アンジェリークが感嘆の声を上げる。

「粘った甲斐はあったかな」
「本当ですね!」

 嬉しそうにはしゃいで、彼女は瞳を輝かせた。
 月の女神の祝福を受けているのは…どうやら自然だけじゃないらしい。

「さぁ、もう帰ろう。これ以上、女神に君を見せつけると、嫉妬深い彼女が雲に隠れてしまうかもしれない。それは君も困るだろ?」
「あ、はい…そうですね」

 せっかくの景色を名残惜しそうに見つめて、彼女は返事をした。

「そんなに気に入ったのなら、またくればいい。今度は僕も自分用の防寒具を持ってくるよ」
「それって…」
「もちろん。今回見逃したくらいで諦めたりはしないさ。アンジェリーク、君もそうだろう?」
「はい! 楽しみにしてますね!!」

 今日一番の笑顔で、彼女は元気良く返事をした。
 どうして君ってコは、こんなに僕を楽しい気分にしてくれるんだろう。

「僕としては、2人でくっついてるのも悪くなかったけど?」
「セ、セセセセセイラン様っ!!」
「冗談だよ」
「もー、知りませんっ!」

 アンジェリークはぷうと頬を膨らませて、一人でテクテク歩いていってしまった。
 さすがに からかいすぎたかな。
 僕は少し遅れて彼女の後ろをついてゆく。

「アンジェリーク、怒ったの?」
「…知りません!」
「君の気持ちが?それとも僕の気持ちが?」
「…知りませんったら!」
「でも、あれはあながち嘘でもないんだ」
「だから知らな…っ、……え?」

 彼女が驚いて振り向く前に、僕はアンジェリークを背中から抱きしめた。
 途端に、彼女の身体が硬直する。全身の筋肉が強張ったのが、衣服越しに伝わった。
 僕は吹き出しそうなのを一生懸命我慢して、アンジェリークの耳元で囁く。

「君とまた、こうして会いたいってことさ。…君は嫌?」

 ふるふるふる。
 彼女は首を横に振った。

「君のこと、アンジェって呼んでいい…?」

 ぶんぶんぶん。
 今度は首を縦に何度も頷く。
 …ダメだ…もう、我慢できそうにない。
 僕のわき腹は限界だった。

「あはははははははっははっはっははははははははははは…」

 突然戒めを解かれたアンジェは、驚いた顔で僕を見る。
 どうなってるのか、分からない様子だった。

「…き、君は最高にかわいいよ、アンジェ。…くくっ…何でこんなに…ぷっ…かわいいんだろう…っ」
「え?え??」

 まだきょとんとしている彼女を前に、ひとしきり笑った後、僕は呼吸を整えて言った。

「まだ分からない?…それとも僕から言わせたいのかな?まあいいけど」
「あの…?」
「……好きだよ。アンジェ」

 ようやく事態が飲み込めた彼女は、一拍後に勢い良く言った。

「わ、私も…っ!」
「『私も』、何?」

 その先は、言わなくたって分かってる。でも、やっぱり意地悪したくなるんだから、しょうがない。
 案の定、消え入りそうな声で続きを言った。
 耳まで真っ赤に染め上げて。

「ありがとう、と言うべきなのかな。君が同じ気持ちでいてくれて嬉しいよ。また、こうして夜のデートをしようか」
「はい!!」

 こうして、僕はアンジェを部屋に送って一日が終ったわけだけれど、聖地に雷が発生するわけがないと気がついたのは随分たってからだった。
 女王陛下のお力で守られているのだから、よっぽどのことでなければ天候は崩れない。
 崩れたって、今日みたいな雨で収まってしまう。
 そのことに気づくまで、何度も僕らは雨のデートを繰リ返すわけだけれど、それはまた別なお話。
 アンジェがいつになったら気づくか見守っていようと思う僕だった…。

END

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